永平寺
 
そうとう‐しゅう【曹洞宗】サウ‥
禅宗の一派。中国で洞山良价とうざんりょうかいと弟子の曹山本寂によって開かれ、日本では、道元が入宋して如浄からこれを伝え受けた。只管打坐しかんたざを説く。永平寺・総持寺を大本山とする。→臨済宗
#そうとう【曹洞】
[株式会社岩波書店 広辞苑第六版]


ぜん‐しゅう【禅宗
仏教の一派。その教旨は、仏教の真髄は坐禅によって直接に体得されるとし、教外きょうげ別伝・不立文字ふりゅうもんじ・直指人心じきしにんしん・見性成仏けんしょうじょうぶつを主張する。6世紀前半、達磨だるまが中国に伝え、のち5世弘忍に至り、その門下二派に分かれ、6世慧能は南宗を、神秀は北宗を開いたと伝える。慧能の門下南岳の門から臨済・#仰いぎょうの二宗を出し、青原の門から曹洞・雲門・法眼ほうげんの三宗を出し、合して五家ごけと称する。また、臨済の門から楊岐・黄竜の二派を出し、合して七宗という。日本では、1187年(文治3)栄西が入宋して臨済宗を伝え、1223年(貞応2)道元が入宋して曹洞宗を伝え、1654年(承応3)明の黄檗山の隠元が渡来して黄檗宗を開いた。禅門。仏心宗。
[株式会社岩波書店 広辞苑第六版]

栄西という方はインドの方だったそうです。インドから養子で日本に来たそうです。
実家も僧侶だったそうです。



道元  1200‐1253
どうげん

鎌倉時代の仏僧。曹洞(そうとう)宗(日本)の開祖。勅諡(ちょくし)は承陽大師。希玄と号す。内大臣久我通親の子。幼くして比叡山に上ったが,その教学に疑問をもち栄西について禅を学び,1223年明全(みょうぜん)とともに入宋し,天童山で如浄の印可を受け,1228年帰国した。建仁寺に住んで,著作と学問に専心し,深草興聖寺を開創して,宗風は興ったが,貴族・権勢に近づくことを避け,1243年越前に移り,永平寺を開創した。のち北条時頼に請われて鎌倉にいったが,寺院建立のことは固辞し,越前に帰った。その思想は,座禅によって釈迦に還れと唱え,理論よりも実践を重んじ,見性(けんしょう)を中心とした。その説法・言行は《正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)》に記録され,著書に《学道用心集》《永平清規(しんぎ)》などがある。



マイペディア(C)株式会社日立システムアンドサービス
 ところどころに霊がいますが、危ないのは削除してあります。坊さんが死後もいるところは多いです。その霊も色々です。