太田姫稲荷神社ロゴ
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・文字、効果以外CGはありません。画像を盗むと天誅があります。更新 平成26年8月8日
・画像、BGMは3曲でループします。3曲目が第九です。



・平成26年6月30日更新
天狗さん

御祭神 2013-07-07-07.白い狐

20140622-19.菅原道真公






太田姫稲荷神社のお狐さんがお呼びした神田の龍神様 ryuujin.gif(3620878 byte)

平成22年12月12日 更新 
・フレームを付ける。

・かって祭られていた皇居の上空より

大田姫稲荷上空
・このサイトは管理人が大田姫稲荷神社のお狐さんと相談しながら作っています。
・再三申しますが、良くない新興宗教リンク1新興宗教リンク2等の信者の方は、該当の新興宗教を辞めてから訪問、参拝してください。
・新興宗教の信者の方は、お狐さんはお手伝いできないのです。眷属のお狐さんは、悪魔の味方が出来ないのです。
・お狐さんの思いを解ると思います。皆さんも同じ立場では困ると思います。
・自分の信じている新興宗教を正しいと思うのは勝手ではありません。
・自分が信じる宗教が、悪かどうか、不明な方は掲示板に書いてください。インターネットでも多数の話題があります。
・お金を強要する宗教は、基本的に全てが邪教です。→「コン」 
・欲の深い方はお参り禁止です。お願いはほどほどが大切です。
2007年04月13日


JR御茶ノ水駅 聖橋口




JR御茶ノ水駅 御茶ノ水橋口



ご案内 JRおちゃのみず駅より


赤い地点が太田姫稲荷神社です。 太田道灌 めがね橋
太田道灌の像と聖橋
太田道灌

 太田道灌公は、河越、江戸、岩付、の後に騎西城も手がけたそうです。
・・騎西はキプロスと縁が深く、シナイ半島の縁、扇ガ谷上杉と深い関係だそうです。

扇ガ谷(おうぎがやつ)とはシナイ半島のことです。
上杉の祖はヨルダンから来た公家です。藤原高藤とは関係ないそうです。


地図詳細

地図
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デイズニーランドに降りてきたケルビム、ヘルビム
ケルビム、ヘルビム
空からの写真
朱印
2006/04/17 参拝記念



太田姫稲荷神社 鳥居


太田姫稲荷神社

・ご祭神は宇迦之御魂大神様、菅原道真公、徳川家康公だそうです。
太田姫神社,03-3291-8228,東京都千代田区神田駿河台1丁目6

宇迦之御魂大神様

 宇迦之御魂大神様は古代メソポタミア、シュメールのギルガメッシュ王です。


ご祭神 宇迦之御魂大神様
宇迦之御魂大神様
2006/04/17
 お祭りの看板の屋根の上に現れた宇迦之御魂大神様と佐田彦大神様、それに7体のお狐さんです。
 佐田彦大神様はご祭神に祭られていませんが、ちゃんと稲荷神様のご信徒様を見守っているそうです。
 神社の樹木の葉っぱの形以外はあまりわかりません。
 次回はもっと良いカメラを持って行きたいと思います。今回も「写るんです」で撮影しました。。

・・時は流れ平成23年4月にはカシオのデジカメが主な撮影機器と成りました。キャノン、ペンタックスなども併用しています。











 お狐さんのご紹介

・筆頭のお狐さん1499歳(平成16年時)の♀ 真白なお狐さん 武蔵の国出身
・下の猫に筆頭のお狐さんが憑いています。高い気品があります。鴻巣市の勝願寺にて撮影しました。

筆頭のお狐さんが憑いた猫

 次席のお狐さん1113歳の♂ 広島地方の出身
 当初は九体のお狐さんがいたそうです。勧請されてあちこちに行ったそうです。
 年齢は2004年10月現在です。
 筆頭のお狐さんはこの冬で1500歳です。
 今日も参拝者訪問のご挨拶に来ていただきました。
 記 2004/12/08
 お狐さんが宇迦之御魂大神様に勧請された神社です。
 是非ご覧になり、お近くの方はお参りください。良いことがあるかもしれません。
 鳥居稲荷神社  銀杏八幡神社  千葉の神明神社  池上本門寺の長栄堂
  出世稲荷神社  三囲神社(田中稲荷)  穴守稲荷神社
白笹稲荷神社 桜森稲荷神社 常世岐姫神社
墨田区の稲荷神社では以下のようです。
三輪里稲荷神社  隅田稲荷神社  玉ノ井稲荷  飛木稲荷神社  三囲神社  大井戸稲荷 
徳山稲荷  津軽稲荷神社  榛の木稲荷  田螺稲荷  千種稲荷  榎稲荷 
記 2005/01/02   
更新平成22年07月15日

太田姫稲荷神社の筆頭様の狐火
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これが、白い狐の狐火です。もちろん太田姫稲荷神社の筆頭様の技です。
私はいろいろなお狐さんに見せられていますが、これほどのものは初めてです。
寝ているときは火事かと思って飛び起きてしまいます。
これは門を写したはずでした。徳川を支えたと言われるお狐さんはやはり凄いです。
 平成22年5月4日の、さきたま火祭りでの、太田姫稲荷神社のお狐さんの狐火です。
見事です。

太田姫稲荷神社のお狐さんの狐火

太田姫稲荷神社のお狐さんの狐火

 高弟のいる、桜森稲荷神社での御霊験です。

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龍神様
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これは手水舎を写しました。お狐さんと龍神様が2体づつ写っています。







下も龍神様です。訪問者様に送っていただきました

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ご本殿霊体 写った天狗さんは、品陀和気尊(ほんだわけのみこと)です。
ご本殿霊体
これはご本殿を撮影させていただきました。
お狐さんが7体と宇迦之御魂大神様、龍神様、天狗さんが写っています。
お狐さんはリンク先から集まってきた稲荷狐の皆様です。
なんとも不思議な写真ばかりになってしまいました。
これだけの写真を創れと言われても創れる方は絶対いないと思います。
いつもながら稲荷狐の素晴らしい技にはびっくりですが、これは宇迦之御魂大神様のおゆるしがあって初めて公開できるのだそうです。
お金のためには協力出来ないのだそうです。
お狐さんはご信徒様の真摯な商売繁盛、家内安全のお祈りに感応するのだそうです。
4月18日に更新できたのは、かっての縁日だったからだそうです。


・平成18年度のお祭りの看板です。以下は平成18年5月15日他に往年の名機「写ルンです」で撮影いたしました。
 次のお祭りは平成20年だそうです。

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・訪問者様に頂いた平成20年5月10日の例大祭式典です。お狐さんと龍神様が写っています。

2008年5月10日式典

・こちらは平成22年5月10日の例大祭式典です。


 平成20年5月11日 お祭り
行進の開始

・こちらの天狗はアフガンのカンダハルからやって来た方で、日本名が大物主神(おおものぬしのかみ)と申します。
 本当の大物主神は奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)で祭っている蛇ではありません。


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 太田姫稲荷神社のお狐さんによると、山城の古社(一口稲荷神社(えもあらいいなりじんじゃ))の時は、この方は祀っていなかったのだそうです。
神田の地名の由来が皆さんにも少し解ったかと思います。大きな秘密でした。

 元々、大物主神が祀られていた神社に、大田道灌が一口稲荷神社(えもあらいいなりじんじゃ)を勧請して合祀したそうです。
一口を「いもあらい」と発音する方も多いようですが、本当は「穢」(エ:けがれ)も洗う、「えもあらい」が良いそうです。






 本来役人は、一口で悪い事を止めさせないといけません。これが一口稲荷神社(えもあらいいなりじんじゃ)の霊験だったそうです。
どんな病も治ったのだそうです。
 真言と言う霊力ある言葉もあったそうです。これは秘密です。

 役人は「かみ」を守るのが仕事なのです。今の多くの役人は「かみ」を見ず、自分の利権だけを守っています。


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・こちらが参拝殿、ご本殿です。家内安全、商売繁盛、諸病平癒、所願成就をお引き受けしています。

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・ここでお願い事をされる方は、この画面の前に、月2回以上は、お豆腐や油揚げ、稲荷寿司等をお供えしてお願いしてください。
 なお、お狐さんは全般にケーキ等はお好きなのだそうです。お祭りしている洋菓子屋さんは繁盛していると思います。
 お酒や魚等の生ものはお供えしてはいけません。こちらのお狐さんは位の高いお狐さんです。召し上がりません。
 遠隔の方はお札は郵送でも送っていただけると思います。
 都内の方はお参りに行かれると良いと思います。

お参りの時のお願いについてご注意

・お金が儲かりますようにと言うお願いはしてはいけません。
 家内安全、商売繁盛、心身健全、技能向上等をお願いするのが正しいお参りです。
 わざわざ筆頭のお狐さんが大安の日を選び、注意して欲しいと参られました。
2006年10月19日(大安)


ご本殿に神様  こちらは訪問者様に撮っていただいた写真です。
宇迦之御魂大神様、佐田彦大神様、大宮売大神様の3大稲荷神と8体のお狐の皆さんが写っております。
 太田姫稲荷神社で修行されたお狐さんは80体以上いるそうです。











・3体のお狐さんの顔が現れています。↓
 皆様のお参りをお待ちしているそうです。
3体のお狐さん
・くれぐれも犬と間違わないで頂きたいそうです。素晴らしい霊験です。
 太田姫稲荷神社の氏子様は大変恵まれていると思います。
・お札のお求めは
 太田姫神社 03-3291-8228 
 東京都千代田区神田駿河台1丁目6までどうぞ。

・こちらは平成21年11月14日の鴻巣市勝願寺での写真です。

鴻巣市勝願寺での写真

・こちらは平成22年07月25日の鴻巣市天神町での写真です。

天神町での写真


狐の像

・とてもりりしいお姿です。筆頭様が一緒に写っております。


・こちらは札幌発寒神社においでになられた大田姫稲荷神社の筆頭様です。すごい光の玉です。
 向こうに居られるのは、やはり遠征して参られたダキニ真天様です。

光の玉

・稲荷狐の皆様から、稲荷神社の氏子、関係者の皆様にお願いがあるそうです。狛犬を奉納しないで頂きたいそうです。
 管理人も気がつきました。宮司さんも困ってしまいます。狛犬は高麗神社にあるべきものです。狛犬も実際いて、高麗神社の関係者をお手伝いしています。
 管理人のところにも、ある方のことをお願いに来た事があります。
 もちろん高麗神社には多数の狛犬がおりました。俗に犬神様と称していますが呪詛のものとは違うものです。
 稲荷狐の皆様も狛犬と混同される事を嫌います。
 稲荷神社は日本の神社の正一位なのです。宇迦之御魂大神様は記紀にも記載ある皇統の神様なのです。
 そして、ここの筆頭のお狐さんは日本でもトップクラスの力を持っています。霊験でもお分かりのように、東京で筆頭の白い狐なのです。
・以上を皆様にも、良く認識していただけますよう申し上げます。
・他の稲荷神社の参拝者の皆様は、以前のお社に礼をしてから、当社にお参りして欲しいそうです。
 稲荷神社でも稲荷狐がいなかったり、力が足りなかったりする事はあります。その場合、お参り先を変えるのも仕方ない事です。
 当然ですが邪教、新興宗教の信者の方は、どこの神様も一切お手伝いは出来ません。
 入信されていなくても、邪教の広告のための悪い本さえ、身近におくと、神様は嫌なのだそうです。身の回りも清めて欲しいそうです。
・ここまでを理解された皆様は、太田姫稲荷神社にご参拝されると、まことに良いと思います。
 何時の日か、光り輝く、白い狐が皆様の所にも訪問されると思います。とても立派な光です。
2006年06月02日

・こちらは鴻巣市の勝願寺です。
 徳川家康に三つ葉葵の紋を使う事を許された由緒ある浄土宗のお寺です。沢山の御仏、眷属の皆さんが来て居ります。

勝願寺

 これは平成20年11月のお十夜です。
徳川家と大変縁の深い、太田姫稲荷神社のお狐さんが、見事な技を見せてくださいました。

太田姫稲荷神社のお狐さん

掲載 平成20年11月17日



行田市の古代蓮
・宇迦之御魂大神様のお望みで、蓮の花の写真を掲載させていただきました。
 もちろん、太田姫稲荷神社の筆頭のお狐さんが私のところにお使いとして参られたのです。
 立派な光なので直ぐに判ります。
2006年06月03日
・管理人が2006年7月16日に行田市の古代蓮公園で撮影してきた古代蓮の花です。
2006年07月17日



こちらは麹町にある分社です。
鳥居の内側にお狐さんが写っています。
向かって左が筆頭のお狐さんです。光が大きいので判ると思います。
小さくても、ちゃんとお狐さんがお願いを聞いているそうです。
2004/11/24 記




太 田 姫 稲 荷 神 社
 
その由来と変遷
太田姫稲荷神社
 古名は「一口稲荷神社(いもあらいいなり)」です。当社は数多い神社の中でも極めて豊かな霊験伝承と、古い由緒をもつ神社です。
 当社に伝わる古絵巻と「駿河台文化史」(昭和10・神田史跡研究会)によりますと、当社の縁起は9世紀の伝説に始まります。
@承和6年(839)のはじめ、百人一首の名歌で知られる参議小野篁が讒言により隠岐に流されたときのこと、篁が伯耆国名和港を出港した際、雷鳴とどろき大波が荒れ狂い、いまにも海底に引き込まれそうになりました。篁は衣冠を正して船の舳先へ座し、普門品(=観音経)を熱心に唱えました。すると白髪の老翁が波の上に現れて「君は才職世にたぐいなき人だから、流刑になっても間もなく都に返呼されるであろう。しかし、疱瘡(ほうそう=天然痘)を患えば一命が危うい。我は太田姫の命である。わが像を常にまつれば、この病にかかることはないであろう」と告げると八重の潮路をかきわけて、かき消すように姿を消しました。
 お告げの通り、篁は翌年に都に返呼されました。彼は自ら翁の像を刻み、常に護持していましが、後に山城国の南にある一口(いもあらい)の里に神社をつくり祝い祭ったといいます。
A長禄元年(1457)のこと江戸の開祖として知られる太田資長朝臣(後の道灌)に最愛の姫君がいましたが、重い疱瘡にかかり世にも頼りなく見えたところ、ある人が一口稲荷神社の故事を話したので急使をつかわして此の神に祈願した。使いは幾日となくかの社から祈祷の一枝と幣をささげて帰ってきたが、それを境に重かった病がぬぐうように癒えた。資長朝臣は崇敬の念篤く城内本丸に一社建立した。
 後に道灌資長はこの社を崇拝し、また姫君も此の社を深く信心しつかえるようになりました。あるとき此の神が白狐を現して「われこの城の鬼門を守るべし」と託宣されたので、ついに鬼門に移して、太田姫稲荷大明神と奉唱するようになりました。
B慶長8年(1603)8月、徳川家康公が江戸城へ入られて後、慶長11年(1606)、江戸城の大改築を行い、城内にあったこの社を西丸の鬼門にあたる神田駿河台東側の大坂に移されました。(管理人注 お狐さんはこれは良くなかったと言っています。)ためにこの坂は一口坂(いもあらいざか・後に鈴木淡路守の屋敷ができたために淡路坂とも)と呼ばれました。
 その後、代々の将軍はこれを崇敬し、その修理造営は徳川家が行い、僧職が別当として神明奉仕しました。この社は駿河台の鎮守として数々の霊験篤く、神威いちじるしきこと筆にも絵にも書き尽すことはできない、と古絵巻は伝えています。(管理人注 本サイトの数々の写真でも解ると思います。)  慶應2年(1866)本郷春木町に出火して大火となり、御神体を除き神殿、末社、宝物什器および別当居宅などを全焼し、明治5年神社制度制定により神職司掌として神社奉仕を行い、例祭日を4月18日と定め、後に5月15日に改めます。大正12年震災にて類焼。ご神体のみ無事に湯島天神社に避難しました。大正14年に仮社殿が落成し、奉安。昭和3年に氏子各位の寄進により、本社殿・神楽殿・御水舎・神輿庫・社務所・鳥居等が新築されましたが昭和6年、お茶の水駅から両国駅間の総武線建設のため社地の大半を収容され、鉄道省より現在地を換地とされ、一切の建築物をそのまま移転し今日に至ります。

「太田姫稲荷神社縁起」より

 昔、京都の東南、山城国の一口の里に「宇迦之御魂神(うかのみたまのおおかみ)」を祭神とした一口(えもあらい)稲荷神社がありました。
 このお稲荷様は本来、五穀の神(日々の糧となる五つの穀物の恵みを与えてくれる神)でありましたが、その上、穢(けがれや災い)も洗い清めてくれるということからも「えもあらい稲荷」と呼ばれ、近郷近在の人々の信仰を集めておりました。
  室町時代の末頃、関東一帯には天然痘が流行し、この地に在った太田持資(後に道灌)の姫もその病いに罹ってしまいました。
 
 ※ 【太田道灌】  (1432-1486) 室町中期の武将・歌人。道灌は法名。扇谷(おうぎがやつ)上杉家の重臣。
1457年、江戸城を築く。山内上杉家の策謀により、主君(扇谷上杉家 上杉定正)に暗殺された。軍法にすぐれ、和漢の学を修め、和歌に秀でた。太田姫稲荷神社のほか、川越から日枝神社等も江戸に勧請している。
 太田資長(おおた すけなが 永享4年(1432年) - 文明18年7月26日(1486年8月25日))は室町時代の武将。幼名は鶴千代、元服時は持資(もちすけ)を名乗ったが、後に資長(すけなが)にする。
 仏門に帰依して以降は道灌の号をもちいた。扇谷上杉家の家宰をつとめ、扇谷上杉家の勢力拡大に貢献した。しかし讒言(下刻のおそれ)を信じた当主の上杉定正によって、糟谷館で暗殺された。
 説明-文明十八年七月二十六日、定正の居館である相模糟屋の館(現在の神奈川県伊勢原市上粕屋)に招かれた道灌は、定正のすすめで入浴中、定正に命じられた臣、曾我兵庫に斬りつけられ、丸腰の道灌は桶で刀を受け止めますが万事休す、「当方滅亡!」この言葉を最期に、希代の名将、道灌はこの相模糟屋で五十五歳の生涯に幕を閉じてしまいます。

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 上粕屋神社

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 太田道灌は武蔵に江戸城、河越城、岩槻城などを築城し名を残した。1546年、上杉朝定が河越夜戦で戦死し、扇谷上杉家は滅亡した。
 左は道灌塚、右は道灌を守ろうとした家来の塚。


 室町時代太田道灌の姫が当時流行した天然痘を病み、薬石効なく一日一日と悪化の道をたどりつつあったとき、友人に「山城の国一口の里にある稲荷神社に祈願すれば、どんな重い天然痘でも忽ち平癒するから」と言われ、早速同神社に参詣祈願したところ姫の病は忽ち平癒しました。
 お狐さんによると当時赤印の辺りにあったそうです。↓
   
 長禄元年(1457年)江戸築城のとき持資(道灌)は寺社奉行でありました。
 持資は、相模国の守護上杉定正の命により江戸城を築く時崇敬、感謝の念で、この一口稲荷を伏見より勧請、江戸城内にお祀りしました。
 、その鬼門除けとして、太田家の姫を救った「一口稲荷」を移し奉ったのです。長祿元年(1457年)の事であります。
 

 ※太田道潅が作った江戸城は、現在の本丸内にありました。
 城自体としてはそれほど大きい物では、ありませんが文明6年(1474年)に現在の富士見櫓がある場所に三層からなる(やぐら)を造りました。
  
※富士見櫓は明暦の大火(1657)で類焼した後、万治2年(1659)三層の櫓として再建された。天守閣が再建されなかったので、江戸城中央に位置するこの櫓が天守閣の代わりを果たした。櫓台は加藤清正によって慶長11年(1606)に築かれた。  関東大震災で破損した後、解体復元された。
 当時はそこから海を望むことができ富士山などがとても奇麗に望める櫓でありました。そこを精勝軒と言われてました。そこでは、歌合わせの会がよく開かれたそうです。また、太田道潅も一番この場所を好み精勝軒に居ることが多かったそうです。
 徳川家康が江戸城改築の時に太田道潅が立てた精勝軒は、解体されて新しく富士見櫓が建てられました。現在残る富士見櫓がそうです。

また、太田道潅が後花園天皇に答えた歌に
「我庵は松原つづき海近く 富士の高嶺を軒端にぞ見る」
この歌からわかるように江戸城のすぐ前は、海だったことがわかります。
 

 天正18年(1590年)徳川家康は豊臣秀吉より関東に封ぜられ、江戸城に入った折り、現在の錦町一丁目にこの社を移しました。
 天下平定を成した家康は、慶長11年(1606年)江戸城増築に伴い、この「一口稲荷」を現在の駿河台の一角、聖橋の袂に遷座しました。写真参照。

 そして代々の将軍がこれを崇拝し、その修理造営は徳川家が行ない、僧職が別当(長官)となって、この神社に奉仕致しました。(その頃まだ、聖橋はなく下流の昌平橋は「一口橋」と呼んでおりまして、又この坂はこの神社の表参道でありました。)

    ※写真は明治17年頃の太田姫稲荷神社の写真だそうです。
 
 明治5年(1872年)東京府より村社に定められ、その名も太田姫稲荷神社と称し錦町一丁目、小川町二丁目の一部、駿河台全域の氏神としました。

 また例祭日を4月18日としましたが、後に5月15日に改めました。大正12年の大震災で類焼しましたが、昭和3年には本社殿が南向き(それまでは東北東)にして新築されました。
 昭和6年(1931年)総武線開通工事の為に、現在の駿河台一丁目二番地にそのままの形で移されました。
 
 
祭神は「宇迦之御魂神」、五穀の神でその上「穢もあらう」ということは、病を癒し災いを除け、家内安全、商売繁昌の神でもあります。又、菅原道真公、徳川家康公が合祀されていることにより、文武の神でもあります。尚、この神社の紋は太田道灌にちなんで、その家紋であります「太田桔梗」以って今日にいたっております。
 ※写真協力:NPO法人「神田学会」