マヤ文明の一般的知識
ユカタン半島

ユカタン半島 マヤ文明(マヤぶんめい)
Maya civilization

紀元前後から 16世紀頃まで,メキシコ,グアテマラ,ホンジュラスなどに展開した文明。
紀元前後から,マヤ文明の特徴がみられるが,3世紀には低地一帯に一種の宗教的都市形成が生じ,巨大なピラミッド形の大神殿や祭礼場,裁判所,市場などが建造された。
またマヤ象形文字,天文学,暦などが発明され,国王,貴族,司祭を中心とした貴族政治が発達し,800年頃に頂点に達した。
その後これらの都市は放棄され,文化の中心はユカタン半島に移って,950~1000年頃にはチチェン・イツァを中心とするメキシコの影響を受けた文化が発展。
さらに 1200年頃にはマヤパンを中心とするココム王国が建設されたが,文化的には後退し,1450年頃反乱によりマヤパンは焦土と化した。 1560年にスペイン人が侵入したときは,ユカタン半島ではインディオ諸族が戦乱を繰返していて,マヤ文明はまったく衰微していた。
[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2010]


マヤ

メキシコ南部のユカタン半島,グアテマラを中心とする地域に分布する先住民で,一般にマヤ諸語を母語とするインディオの総称。⇒アメリカ・インディアン
〔マヤ文化〕 オルメカ文化やサポテカ文化などの影響を受け,独自の文字体系や天文暦数などを発達させたメソアメリカの文明の一つである。
その先行文化は南部地域のイサパ文化であり,紀元前1世紀ころからマヤ文明盛期の基本的特徴をすでに備えたこの文化は原古典期とも呼ばれる。
2世紀後半になるとテオティワカン文化がこの地域に進出し,マヤ文化の中心は中央部に移る。紀元300年―900年ごろがマヤ文明の最盛期で,ティカル,コパンなどの都市が次々に建設され,古典マヤ文明が発展した。
広場を囲む神殿群と太陽のピラミッド,独特の暦法に基づく年代を刻した石柱,象形文字の使用,優美な彩色土器等で代表される。この文明は900年ごろ急速に衰退し,神殿都市は次々に放棄されて中心は北方のユカタン半島に移った。
侵入者であるトルテカ文化の影響を受け,チチェン・イッツァを中心としてユカタン・マヤ文化が形成された。ユカタン半島はその後たびたびメキシコ中央高原からの侵入を受け,1200年ころマヤパンが主導権を握るころから退廃期に入り,15世紀にはマヤの政治勢力は地方に分散し,16世紀スペイン人の侵入にいたるまで低迷期が続いていた。

マイペディア(C)株式会社日立システムアンドサービス



  
お花