4月の日記

 小針領家

2009/03/31

 あちこちに領家(りょうけ)と言う地名がある。
これは領地と思えばい良い様だが、小針(こばり)と言うのは何か、分からなかった。広辞苑にも本当のものはない。

 神々にお尋ねした。
これは舎人を補佐した役人たちなのだそうである。ナンバー2だそうである。

 舎人は土地など所有せず、小針が管理したのだそうである。
「り」は役人である。古代蓮公園の土地も小針である。こちらは桶川市の坂田そばの舎人新田である。

舎人新田

 既に、長く来ている皆さんは、全てが理解出来ていると思う。
この辺りの畑も、おかしなマークがいっぱいである。

 この下に、小針領家がある。

小針領家

 うさぎや明星など、皆揃っている。
人が意識しなくても、物事はこのように運ぶのである。神様が居ればである。

 上の写真の稲荷神社にも、社主の仲間の稲荷狐がいるそうである。
笠間稲荷で修行した♂の狐だそうである。→「コン」

 こちらは行田の小針周辺である。
この一体は、見渡す限りの古墳だったのだそうである。

行田の小針周辺

 スーダンのハルツームとは、ホルスの陵(=Tomb)なのだそうである。
ツンとしたと言うのはピラミッドの様な陵から来ている。

 舎人にしても小針にしても、侵略者たちが、後で分からない漢字を当てたのだそうである。
消えた神代文字は400種類以上であり、蘇我氏の文献はアラビア語だったのである。

 最初に事実を聞いた時は、私も驚いたが、全ては役人の仕業なのだそうである。
確かに、国敗れても、役人は主人が変わるだけと言う事が多いようである。

 日本の中枢に入り込んだ中国人子孫の役人どもが、獅子身中の虫である。
神々の怒りは凄い。

 ちなみに、小針はヌビアの方だったそうである。
行田市野とはヌビアの皆さんの住んだところだそうである。

 そう言えば、国会議員で野中さんと言う人も居た。
同和問題の撲滅を謳っていたと思う。
   
 +(-_-;) 


 遠山記念館

2009/03/

 ここは日枝神社の御祭神、大山咋神様がご縁だと言う。
知っている方も多いと思う。遠山記念館とは、かっての日興證券の創業者、遠山元一の生家である。

 山王大権現から遠くはないが道が難しい。

地図

 10年以上前、何度か行った事がある。
周りに川が多かったのが印象だった。昔は理由が解からなかった。

遠山記念館

 下に航空写真を掲載した。
ここにも、大きな神々の指紋があった。邪霊が騒いでいる。

大きな神々の指紋 インドの方

 遠山元一の家は、父が米相場で失敗して全てを失っていたのだそうである。
この家以前の家は、天を見上げるような大きな三つの倉がある豪農だったそうである。

 父は川越で、米相場で騙され、全てを失い、潰れた屋敷跡で、複雑な家族が生活していたのだそうである。
米相場は、裏で侵略者が操作する、パチンコ屋の様なものだったのである。

 米相場で儲けたのは、噂では只一人で、山種証券、山種米穀の創業者山崎種二だけと言われる。
遠山元一は、米の仇を株の商売で取り返したというところである。

 弟が工事を仕切って建てた家で、請負で建てさせたものではないそうである。
請負師ではろくな家は出来ないと思っていたそうである。まさにその通りで、すばらしい建築である。

 昭和10年頃、当時のお金で六十万円掛かったと言う。
昭和10年は、千円で家が出来た頃である。庭もすばらしい。庭の石は秩父の人に、沢をひとつ、もらったのだそうである。

 個人の邸宅としては、これほどのものは見た事がない。他にはないと思う。
遠山美術館は、邸宅に比べると物足りないくらいである。

 しかし、ご本人は、多くの時間を帝国ホテルに住んでいたそうである。。
当時は良かったと著書で述べている。

 川島で大事なところは沢山ある。ここにも鳥羽井沼や牛ヶ谷戸と言った地名もある。
社主の仲間もいる。ここの熊野神社も大事なのだそうである。→「ゴン」

田辺市の熊野本宮

 こちらの本当の神々は、金星の方、稲荷神である。
垂迹など、馬鹿な考えをしてはいけない。ここに来る皆さんは、真実は分かっているはずである。

 熊野権現は、近い前世は雲海上人様である。この方も前世から、神仏の仕事をしているのだそうである。
ゴンと現れるので権現様であるのかと思う。熊野神社で修行された山伏さんでもある。本来、山伏も石切が出来たのだそうである。

川島町

 ここのお狐さんも、だいぶ前に来たお狐さんであった。
今も来た。→「コン」

 田舎の小さなお社にも、力のある狐がいるのは、神々の言いつけで土地を守っているのである。
圏央道の工事でも、新しい古墳が見つかっているのだそうである。

 ここ川島にも、大事な古墳が沢山あったはずである。
   
 +(-_-;) 


 縄文の時代

2009/03/29

 日本の先史時代のうち,縄文土器の使用された時代で,約1万2000年前に始まり,約2400年前まで続いた。
 縄文土器の編年に従って,草創・早・前・中・後・晩期に区分されるが,全期を通じて,打製・磨製石器を主要利器とし,狩猟・漁労を行い,高度な採集経済の段階にあった。
 
  遺跡は,貝塚,洞窟,低湿地遺跡などがあり,その分布は,中部・関東・東北に多く,全体の8割を占める。
 住居は,おもに竪穴(たてあな)住居で,草創期には洞窟を利用したものも多い。死者は住居の近くに埋葬。中期までは屈葬が多いが,後・晩期以後次第に伸展葬が多くなる。
 
 貝塚の広さや,竪穴住居の集合状態から,集落の人口と規模は増減を繰り返していたものと考えられる。
これは異民族の侵略(中国、朝鮮人)があったからだそうである。

川田谷

 何処にもある土地の資料館に寄った。

川田谷

川田谷

 ここ、山王大権現にも、見ざる、聞かざる、言わざる、があった。

川田谷

 大沼近くのバス停である。皆さんは、最早、事が理解出来ていると思う。

川田谷

 昨日、こちらの方が参られた。
氷川神社とは、本当は永川神社だったのである。荒川の流域に沢山ある。

 本当の御祭神は、諏訪大社の御祭神、建御名方神様だったのである。
ここの皆さんも、中国、朝鮮の侵略者に追われ東北に逃げたのだそうである。

 後谷遺跡では膨大な土器が出たと言う。家財道具も投げ出し逃げたようである。
鹿島神宮の巨大な刀の持ち主さえ、中国人の集団に殺されてしまったのである。出雲も同じである。

川田谷

 そんな御先祖様の恨み辛みは、皆さんのDNAにも在るのである。
野球の試合でも、異常に盛り上がったのはその性でもある。

 かっての土地の住人を殺して、地代を毟ったのが侵略者どもである。
縄文時代の天照大神様も、悪い地主どもは許さないのだと言っている。。

 確かに、大地主、貴族は悲惨な最期が多いような気がする。
それに、ふざけた役人どもも当然である。やつらは悪い子孫が多いのである。

 ・・社主が、業も先祖の遺産なのだと言っている。同じような者が子孫に多いのである。
これは、最近は当然と思うように成った。これからも経済による貧富差の苦悩は拡大するからである。

 派遣を切られて、部屋で餓死した人の事など、僅かなニュースにしかならない。
この地球は、おかしすぎる世界である。悪い者どもには、死後地獄で償ってもらうのは当然なのである。

 それでなければ、皆が嫌に成ると思う。地獄とは単なる妄想、心の状態ではない。
地獄霊は寄ってきただけでも、とても冷たいのである。女性の冷え症はこれである。

 仕事等で苦しんだ方は、夜中に魘されたり、体が震えたりした事があると思う。
暗闇の底で冷えた感覚も多くの人が知っていると思う。あの世の地獄は、肉体がないのでもっと辛いのである。

 何が良い悪いかと言う話になると、社主は魚を水槽で飼うのさえいけないと言う。殺生どころではない。
動物を殺して、肉を食うなどと言うのは論外なのである。何か感じられたかと思う。

お地蔵さん

 あちこちにあるお地蔵さんは、誰が作ったのかさえ分からない。
しかし、因果は、必ず巡るのである。→「コン」
   
 +(-_-;) 


 天領

2009/03/28

 天領とは、御料所(ごりょうしょ),御料とも言うようである。
江戸幕府の直轄地(幕府領,幕領)の俗称である。

 開幕以前の徳川氏蔵入地を継承し,幕府財政の基盤。勘定奉行支配下で,郡代や代官が年貢徴収や一般民政事務を行った。
預地(預所)として大名などの管轄下に入る場合もある。

 しかし、本来は、その名の通り天子直轄の領地であった。

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 山王大権現の周囲には、古墳が沢山あり、天領も沢山あった。
隣が永島さんで、天沼さんが多い。地名も山王である。偶然ではない。下が天沼さんの分布である。

天沼さんの分布

 何時も見事な結果が見える。誰も気がつかないだけである。
しかも、天沼さんは桶川市「川田谷」、川越市、鴻巣市「川里」に分布しているのである。下の通りである

川田谷、川越、川里に分布

 全てが、頭に「川」が付く土地である。ただし、この川はインダス川だと言っている。天沼さんは天竺の人だったようである。
諏訪と言う地名まであった。もちろん諏訪神社もある。沼はないのに大沼もある。

川田谷の地名

 河童がいるのが沼ではない。。
そんな川田谷から4年以上前に来てくれたのが、山王大権現のお狐さんであった。

山王大権現のお狐さん

 当時は歴史研究を始める前であった。
地名に、こんな巨大な意味があるとは思わなかった。

 稲荷狐の皆さんも、何時か多くの人に真実が知らせられると解かっていたのである。
ここもお社は、鴻巣の八幡神社程度に古くなっているが、神々、眷属の皆さんには、それは二の次である。

 東京の山王様、日枝神社は川越から太田同感が勧請したと言われている。
山王の地が川田谷だったとは私も知らなかった。

 大きな古墳だったのだそうである。
インドから来た方のものだったそうである。

古墳跡

 この周囲にも、古墳跡が沢山ある。
苗字は、村の長からもらったと言う方も多い。真実は一部のものしか知らなかったのである。

 そして地名の真実もである。スーダンに和戸(=すわ)があるなど、私も夢にも思わなかった。
全て明らかになったのは、天の配剤である。神々に教えていただかなかったら、私も解からなかった。

 そして、コンコンと尋ねてきてくれる、お狐さんが嬉しい。
神々は、いつか、日本の人に真実の扉が開かれる時が来ると信じていたのだと思う。

 ご苦労様でした。
   
 +(-_-;) 


 東国の人

2009/03/27

 昨日紹介した須藤さんは、須田さんに同じく群馬が一番多い。
それだけではなく、見事に東国の人だった。下が調査結果である。

須藤さんの分布

 関東では何処にでもいる須藤さんであるが、見事に東西で分かれている。
群馬では安中、高崎、前橋に集中している。安中とは皆さんが思うとおりである。「阿」である。

須藤さんの分布2
 前橋は須田さんも多い。
「あ」は A であるが「お」とも発音する。ALLAUTO (たぐい)である。

 これが尾瀬なのだそうである。そして行田の小見と言う地名もそうなのだそうである。小見真観寺には古墳がある。
群馬の政治家でも、小見さんや小渕さんがいる。「かん」は既に述べたようにアフリカである。

凡例

  AB は外に行く事である。Abu Dawn はナイル川の氾濫で泥に埋もれてしまったのだそうである。
ナイル川の住民は氾濫前に避難していたのだが、大きな氾濫では土地の割り当てのも収拾がつかず、土地を離れた人もいたのだそうである。

 ナイル川の氾濫後は土地分配に行政上問題があって、ナイル川の土地を離れ、群馬に来た方もいるのである。
それで、小○さんは政治家な様である。

 アブラハムとは道を間違えたと言う事である。
事実として、イスラエルは、中東の火薬庫となっている。

 エジプトからガザには沢山のトンネルが掘られた。
このトンネルを掘った人が、太古の昔、「土ぐも」と呼ばれたのだそうである。

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 ガザ地区のトンネルは国境を越えるためのものだが、太古の時代は地球の裏にまで繋がっていたのである。
エジプトから日本に繋がったものもあるのだそうである。その出口が曹洞宗の寺にあったそうである。洞とは洞穴、「ほらあな」である。

曹洞宗の寺

 こちらの方(向かって左の光の玉)が、その棟梁だったのだそうである。ヌビアの方である。
地球内部には、地表人に解からない、沢山のトンネルがあるのだそうである。

 この世界に入るには、石抜けの術が出来ないと行けないそうである。

 武田にも有名な金掘りがいた。
アミの円盤が突入したのは、この世界、胎臓界だったのである。

円盤

 神々も円盤もちゃんと写真に写っている。
地図の地名もちゃんとある。

 精進しだいで、大きな石も、やがて動くのである。
これがフリーメーソンの密教である。
   
 +(-_-;) 


 ホルス神現る

2009/03/26

 群馬周辺シリーズになった。
群馬と言えば、榛名山、赤城山である。これも立派な目である。

榛名山、赤城山

 太古の昔に、遠くヌビアの地から、天の浮き舟で多くの人がやって来たのである。
榛名山には天目山と言うのもある。皆さんは、もう意味がお解りと思う。アメン神とアイである。

 そして、榛名湖のハルはスーダンのハルツームの事なのだそうである。ハルツームはホルス神の「ホル」なのだそうである。
そのためホルス神が直々に案内してくれたのである。日本の成立の要素と言うところまで影響するからである。

 群馬では、なぜか、四人の総理が出た。
これも関係がある。

天目山

 沢山の繋がりは、完全な証拠だったのだが、大きな力が歴史の事実を封印していたのである。
ホルス神が現れ、大事なところを教えてくださった。下である。前橋市内である。皆さんには地名の意味が解かるはずである。

ぬで島町

 ここの土地の方は、差別で苦しんだ方もいるかもしれない。
真実は、私のサイトで学ぶ皆さん以外には解からないのである。須藤さんも、ちゃんと居る。。

クロップマーク

 そして、何かを隠したかのように整地された畑には、やはりクロップマークがある。
群馬県は関東では、飛びぬけて同和問題が多いのである。

 今日も、巨大な光が降りてきた。→「コン」
続きは明日です。
   
 +(-_-;) 


 小諸なる古城のほとり

2009/03/25

 小諸とは島崎藤村(しまざきとうそん)で有名である。
先日、22日の日記で紹介した。小諸のご先祖の皆さんは、やはり島から来たのだそうである。島の子孫で「島孫(とうそん)(天孫)」である。

小諸

 公園に入って行くと、黒門橋と言うのがある。
湯島天神近くも黒門町である。

黒門橋

 この先に懐古神社の鳥居、神社がある。

懐古神社の鳥居

 ここを入った先は、下の島である。
神々のお導きである。

モロニ島

 ここに時間、空間の秘密がある。皆さんは、その秘密を少し体感したのである。

コモロ

 ここも、もちろん火山島である。

コモロ

 小諸にも芦原があった。愛宕山もあった。
「芦原」とは、もちろん阿の原(胎)である。皆さんは理解出来ていると思う。

小諸の地図

 かっては、誰でも知っていた事が何も分からなくなった。
これが無明の時代である。ウガヤ朝の終盤から、今日まで、2780年も続いたのだそうである。

 たしか、甘利(あまり)と言う行革大臣もこの辺りの方であったと思う。
甘利とは天(あま、10=とう、島)の吏、使者と言う事である。行革は頑張っていただきたい。

 天とは島なのである。それは目でもある。
城は、それを模したのである。
   
 +(-_-;) 


 御霊神社

2009/03/24

 御霊神社と言うのは沢山あるが、鎌倉のものも有名である。
大庭、梶原、長尾、村岡、鎌倉氏という五柱の霊を祭った事になっている。

御霊神社

 ここは常世岐姫神社とも縁が深い。
長尾、鎌倉氏は諏訪、現在の長野の人である。江ノ電が横切るのでも有名である。

江ノ電が横切る

 奇面を被る不思議なお祭りがある。
御先祖様の特徴が出ているのだと思う。

奇面を被る不思議なお祭り

 地理的には、田谷の洞窟の北に成る。

案内図

今日の本題は、こちら田谷山定泉寺の洞窟であった。ここは真言宗のお寺で、洞窟はお坊さんが掘ったのだそうである。

田谷山定泉寺

 洞窟の中には400円で入れて、見物できる。
阿字観の出来るところもあるそうである。「あじ」とは多くの方には想像も出来ないところである。

 阿字観

 皆さんは、良く真実に近づいた。
お坊さんは、フリーメーソンだったのである。バーミヤンの大仏も彫ったのである。

 そのお坊さんの本来の土地が「あじ」だったのである。阿弥陀如来はエジプトのアメン神だったのである。
洞窟内部は幻想的である。許可のない写真撮影は禁止だそうである。

ユガ洞窟

 壁面にもなにやら彫ってある。
川まで流れているそうである。

洞窟内部の川

 ピラミッドの中の様でもある。
太古の真実が、少し見えてきたようである。
   
 +(-_-;) 


 

2009/03/23

 雨というと、天から落ちてくる水の事を示す。
多くの方は、それ以上は考えない。

 ここで学ぶ皆さんは、地名や苗字の「雨」が「アメ」→アメン神の事だと理解できたと思う。
ある方が、仕事を探すのに羽村市が良いと言われた。

雨倉さんの分布

 雨倉さんと言うのは東京にしかいない。
しかも、羽村市が殆どだった。

雨倉さん

 結局この方は、羽村では仕事が見つからなかったのだが、4月から、やはり「雨」のつく土地に行くのだそうである。
そこには、やはり目に効くお社もあった。アイである。

 ちなみに、雨では雨宮さんがメジャーである。
その雨宮さんは、やはり甲斐の国が本拠地である。もちろん甲斐とはカイロである。見事である。

雨宮さんの分布

 以前から、そう思っていた方は多いと思う。
見えないものが、ちゃんと人生を引いているのである。

 動かない事実は、神々の証明である。
   
 +(-_-;) 


 群馬の吾妻

2009/03/22

 群馬の吾妻を検索したら、群馬には吾妻郡と言うのがあった。
吾妻があったとは思っていたが、吾妻郡だったとは気がつかなかった。しかし、私が思った通りの構成になっている。アフリカが一杯である。

群馬の吾妻

 当サイトの内容が、口からでまかせではないのだと理解していただけると思う。
地図の地名や遺跡、地表面のクロップマークは偉大な証拠である。

 昨日、関東のテレビでエジプトの事をやっていた。
ネフェルテイテイの事が中心だった。3千5百年ほど昔だそうである。

 内容は作られた話が中心であった。ネフェルテイテイはエジプトで殺された事になっていた。
そもそも、最初にネフェルテイテイは舟でどこかから来たのだが、出身は不明であった。

 アイにしても、ファラオ引退後、晩年は何処で何をしたかも不明に成っていた。
想像がつくのは、ここで学ぶ皆さんだけである。

 エジプトもピラミッドは紹介するが、何故あそこに王家の谷があるのかも言う事はない。→「コン」
下のものも赤羽である。

赤羽

 不思議な岩の上を龍神様が飛んでいる。この赤羽は「くら」に近い。→「コン」
多くの円盤は、ここにも降りて来たのだそうである。不思議な岩もある。弁慶の七戻り岩の様でもある。

不思議な岩

 テレビの放送は、規制があるのを感じている。
ネフェルテイテイのアマルナ(余目)サッカラ(酒田)への思い入れはテレビで感じられた。

 ツタンカーメンはサッカラで左足に怪我をして死んだのだそうである。
ネフェルテイテイの日本での旅は、大変長かったのである。

 アマルナ時代以降は、フリーメーソンがいなくなってしまったので、ピラミッドは出来ていないのである。
フリーメーソンは金星、木星に帰ってしまったのだそうである。金星の方が8割だったと言っている。

 この様な内容は、テレビでは放送出来ないと思う。
昨日は五百羅漢も見つけた。如何見るかは皆さんの自由である。

五百羅漢

 写真を撮った方は、五百羅漢などは、もちろん、知らないと思う。
   
 +(-_-;) 


 メンフィス

2009/03/21

 メンフィスとは、エジプトの古代都市で,カイロの南約25km に遺跡が残る。
第1王朝のメネスが建設した新都〈白い壁〉にさかのぼるといい,初期王朝,古王国時代の首都であった。

 中王国時代以後テーベに都が移り,アレクサンドリアが繁栄するに及んで衰退した。
プタハ神崇拝(メンフィス神学)の中心地として知られる。1979年世界文化遺産に登録された。

 グーグルマップなどでも見つけづらいと思う。
ピラミッド配置の鳥瞰を作成した。以下の様である。

ピラミッド配置の鳥瞰

 メンフィスは、現在もミト・ラフィーナ村と言うのだそうである。太陽神ミトラの縁である。
御先祖様によると、第6王朝の初代テティの妻イプト1世が常世岐姫だったそうである。聖書の原型の様である。

 確かに、「イブ」を感じた。時代は4千数百年以上前である。
この王テティは前の王ウナスに男子がいなかったので、国を乗っ取ったのだそうである。

 その子はベビと言う名だったそうである。
アダムが蛇に騙されたと言うのは、子が可愛くて道を誤ったのかもしれない。

 しかし、唆すにしても、手伝った役人がいなければ政権は奪えない。
役人が業が深いのが分かるかと思う。藤原氏の子孫は大変である。

 メンフィスは遥か以前、太古より神々の土地であった。
それは汚されてしまったのである。園内が大事なところだったそうである。

大事なところ

 右脇に、沢山の石像などがある。有名なところである。
しかし、大事なところは目だったのだそうである。下はグイマー島の目である。神の出ると書いてある。 Cami.

グイマー島の目

 これは天神の時代のものだそうである。
木星のものだそうである。群馬を思った方も近いようである。群馬も吾妻がある。赤城山も縁である。同じようである。

 先日の菅原道真公の話も牛であった。
蛇に騙された者たちが牛を殺して食いだしたのである。それがアブラハムの弟子たちである。

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 こちらがメンフィスで信仰された大事な聖牛である。その時代に、1頭しかいないのだそうである。頭のカメには意味がある。
それは、インドのバラモン教、ヒンズー教でも同じような教えがある。バラモン教では瘤牛が大事なのだそうである。

瘤牛

 仏教国では、あちこちに金の牛も祭られている。
彼岸に良い話題であったと思う。
   
 +(-_-;) 


 吾妻鏡

2009/03/20

 吾妻鏡とは、東鑑とも書く。鑑(かがみ)とは「かん」である。
吾妻鏡とは鎌倉幕府の事跡を記した史書と言われ、巻数未詳である。私の御先祖様が書いたそうである。。

 1180年源頼政挙兵から1266年6代将軍宗尊(むねたか)親王帰京までを和風変体漢文により編年に記したそうである。

 前半は13世紀後期,後半は14世紀初めごろ幕府の家臣が編集したものとみられる。
その正体は何か、皆さんも考えると思う。

 吾妻とはアフリカの西、アフリカの妻である。
かま、くら、そして北条の紋がモロッコの砂漠にあったのを覚えていると思う。上に笠もある。

 モロッコの、「モロ」とは毛呂山の毛呂であり、鹿沼市の茂呂と言う地名に子がついたのである。エジプトの子孫、親戚である

カナリヤ諸島

 近くに七つの島がある。これも島、十(10=テン)、天である。
その中心がテネリフェ島である。これは舎人(とねり)の島である。十は島である。舎人は島=天の人でもある。歴史は古い

テネリフェ島

 テネリフェの中心は、テイデ山である。
富士山の様な見事なピラミッドである。手前には石の観音様がある。

テイデ山

 ここの皆さんも、天の岩船に乗って日本に来たのだそうである。
下の土地である。

手稲山

 江別や加賀、吉備なども紹介した。早乙女さんも紹介した。
手稲山とは、昔から不思議であった。

 アイヌの皆さんはご苦労さまでした。
   
 +(-_-;) 


 マニさん来る

2009/03/19

 昨日のシラーズの写真に感応されて、マニと言う方が参られた。
稲荷神様の御信徒なのだそうである。アフラマズダ神、猿田彦大神様の繋がりなのだそうである。

シラーズの宮殿1

 こちらが宮殿なのだが、ニチエ=日枝=日恵→ニーチェと表記がある。
日蓮にまで繋がりそうである。

ニチエ=日枝=日恵→ニーチェ

 マニ教とは、イラン人マニ(216年―276/77年)を開祖とする宗教である。
英語で Manichaeism,漢語で摩尼教と言う。鳥取に摩尼寺と言うのが在り天台宗である。

 マニ教は後期ゾロアスター教,ユダヤ教,キリスト教,仏教,土着信仰が混淆したグノーシス主義的宗教とされる。
徹底した二元論・宇宙論的教義,〈義者〉と〈聴問者〉からなる教団組織だそうである。

 シャープール1世の庇護を得て教勢を拡大し,ワラフラン1世治下のマニの殉教後も,東は中国(7世紀末に伝来),西はイベリア半島に及ぶ伝道が行われたと言う。

 回心前のアウグスティヌスはマニ教徒であったと言う。
天台宗は、ここの流れである。日蓮も天台宗を学んだのである。安房の国は遺跡でスーダンのものと同じカヌーが沢山見つかっている。

 マニさんは、親がユダヤの新興宗教の信者で苦労したのだそうである。
それでザラスシュトラ、猿田彦大神様の拝火教を勉強したのだそうである。そのため教義は同じようである。

 ザラスシュトラを現したのが、哲学者ニーチェだったのを忘れてはいけない。
ニーチェはマニさんが指導したのだそうである。ただ悪霊に憑かれて狂ってしまったそうである。

 今も教員は大変に鬱が多いそうである。
 
宮殿内部

 プラトンにしても神が指導したのである。
神に指導を受けると、当然邪霊も騒ぐのである。

 また、アブラハムや、マホメットの様に、蛇に騙された者も多いのである。
これを建御名方神様、アフラマズダ神は、お怒りなのである。当然である。

 マニ教では、人類の滅亡は蛇に騙されたアダムが悪いと言うのは当然である。
サーサーン朝の起源については、ササン、笹とはアフラマズダ神なのだそうである。

 火の神アフラマズダ神は、太陽神ミトラ、宇迦之御魂大神様とともにペルシャで祭られていた神である。
アルダシール1世は、インドのラクナウの方だったそうである。

 ペルシャは、その歴史を紙に記録しなかった事は、正しかった。
今も、中国では沢山の偽札を作っている。権威を捏造して租庸調を毟るのが新興宗教である。

 文字やマスコミが発生して、この世は悪くなったのである。
私のサイトは、欲の深い者、金の亡者は、入場絶対にお断りである。
   
 +(-_-;) 


 御先祖様のお引越し

2009/03/18

 ある方は杜氏なのだが、笠間稲荷近くの造り酒屋さんと縁があったそうである。
距離的には遠いのだが、御先祖様が縁があったのだそうである。

 この方たちの御先祖様は、かってペルシャにいたのだそうである。
ササン朝ペルシャの時代である。

 ところが、日本で神道を学んで帰ったマホメット、ムハンマドがイスラム教を創始した。
そのため、多くの造り酒屋は廃業となったのだそうである。

 杜氏の皆さんは、技術を伝えるために日本に来たのだそうである。
苗字や地名に、笹や、白の付いた方が多い。

シラーズの宮殿

 こちらは白笹稲荷神社である。
何処の神社にもお神酒がお供えしてある。

清酒 白笹

 ここに現れた猿田彦大神様は、それを伝えるために来てくださったのだそうである。
沢山の神々が、子孫に事実を知らせたいのだそうである。

 杜氏 (とうじ)とは酒造職人。酒造はもと女性の任務で,一家の主婦たる刀自(とうじ/とじ)がかもしたのでこの名が残ったと言う。

 杜氏の組織は長たる杜氏の下に,麹(こうじ)師・頭(かしら)・【もと】師の三役があり,その下に各係がある。農閑期の長い地方の農村出身者が多く,丹波(たんば)・但馬(たじま)・越後・南部・能登・備中(びっちゅう)・出雲杜氏等が名高い。

 皆さんは杜氏は連、それもフリーメーソンだったと理解できたと思う。
酒の発祥の地へ案内していただいた。

 ビールはエジプトが発祥の地だったとサントリーで言っている。ここの人鳥居さんも祖先はエジプトである。
酒はスーダンのハルツームなのだそうである。豊受大神様も酒造の神としても祭られている。

 これは大事なお米は、豊受大神様が金星から種籾を持ってきたからなのだそうである。
それを日本神話では、天照大神様に献上した事になっているのである。

ハルツーム、オンドル

 ハルツーム、オンドルと言う言葉から、東漢 駒(やまとのあや の こま)と言う人物を思った。
蘇我氏の軍隊の隊長のような方で、天皇まで殺したと言う人物である。

 東漢氏は総称であり、『記紀』の応神天皇条に渡来したと記載されている阿智使主を始祖とする氏族集団である。
既に「かん」はアフリカを現すと述べてある。スーダンは東アフリカであると思う。

 蘇我氏の作っていた大日本史はアラビア語で書いてあったと言うのを、どれほどの方が信じたか知らない。
はじめて日本の歴史を読んだ方は、何も理解できなかったはずである。蘇我氏も東漢氏もヌビアの民だったのである。

 アスワン出身の蘇我氏は中国人の手先、藤原氏に滅ぼされ、その藤原氏は13重の塔で祭られたのである。
巨大な日本の歴史の謎が繋がったのである。鹿島の神も中国人に殺されたと言っていた。あの御神宝の大刀の持ち主である。

 日本の歴史も、もう2年くらい、大きな更新ができていないが、この日記が解説である。私も夢にも思っていなかった。
毎日、沢山の方、神々と、おまけの悪霊がやってくる。一昨日の登別の地図にも片倉町があった。

方倉

 日本の事業家、片倉さんは信州は諏訪の方である。倭人とはスーダン、阿地のWad の人である。
御先祖様は、ご苦労様でした。
   
 +(-_-;) 


 遥かなる記憶

2009/03/17

 ある人からメールが来て、ご本尊がないとさびしいと言われた。
これは日蓮系の宗教をやっていた人は、そう感じるようである。

 実は、この方のご先祖もフリーメーソンである。
メールと一緒に参られた。曹洞宗と縁が深いのだそうである。

 その曹洞宗の本当の起源をお尋ねした。
ダキニ眞天様の地はエジプトであった。三州豊川と言うのも感じられる。

Mulaqqatah 宗像

 Mulaqqatah と言えば宗像だが、宗像大社は天照大神様の娘神、タギリ姫様だったと思った。
実はダキニ眞天様も、天照大神様の娘さんなのだそうである。エジプトもインドも一っ飛びだったのである。

 もちろん、お狐さんに乗っていたからである。私は鉄のジェット機は乗った事はないが、お狐さんの背中はジェット機と言う感じであった。
赤坂豊川稲荷では、豊受大神様とダキニ眞天様が一緒に写ってくださった。この時は不思議だった。

赤坂豊川稲荷

 赤坂は赤いサッカラ(ピラミッド)とでも言ったところである。坂も多い。
メールをくれた訪問者の御先祖様は、本尊としてエジプトの写真を祭るように言われた。

神殿

 ここにも、埋もれた遺跡が無数にあるようである。

埋もれた遺跡

 ここも日本に沢山ある地名、「赤羽」、「あかば」、「あかばね」である。
この地名は、多くの人の心に響くようである。→「コン」

   
 +(-_-;) 


 世界最古の砂漠

2009/03/16

 登別温泉を見ていたら、ご縁の神々が感応された。

登別

 遠い世界から、天の岩船でやって来たのだそうである。
真にご苦労様である。

 早速、かっての故郷に案内していただいた。
神々は、私をアフリカのナミビアと言うところに案内した。Windhoek とは「風が吹く」だと思った。

ナミビア

 とても塩の多いところであり、巨大で最古と言われる砂漠もある。塩を波の花とは、よく言ったものである。
下の写真の砂山と、白いのは塩であると思う。龍神様の図である。

砂漠と塩

 「くら」もあった。
 
くら

 そして、何より巨大な砂山に驚いた。
とても赤い砂である。

巨大な砂山

 そしてピンと来たのが羽生の砂山である。
昔から不思議だった。羽生には砂山など、地名以外なかったからである。

羽生の砂山

 航空写真には、やはり、古墳跡のクロップマークがあった。
ちゃんと丑寅を向いている。

古墳跡のクロップマーク

 人の口には戸は立たない。
「恩(音)」を忘れるなとは真に深い意味であった。
   
 +(-_-;) 


 大岩神社

2009/03/15

 今日は始発で江ノ島に行こうと思ったのだが、タギリ姫様が、今日は込んでいるので駄目だと言われた。
14,15日とお祭りをやっているようである。霊域が良くないそうである。江ノ島のお参りは後日になった。。

 昨日の伏見の南谷に大岩神社と言う道標があったが、地図には神社がないようである。
これは岩が御神体だからの様である。右端だと思う。

末広大神

 この神社の写真があった。やはり、お社は簡単のものの様である。だがお社は問題ではない。
地図にはないが有名な様である。

大岩神社の鳥居

 こちらがご神体の大岩だそうである。

大岩神社のご神体

 そして、紋は北条のミツウロコである。
江ノ島が見えてきたようである。

ミツウロコ

 江ノ島はご存知のとおりの巨石である。
石がなくしては山、星はありえないのである。建築なら基礎でもある。

 ここは稲荷山頂から、東南である。
深草極楽寺山町が、その先になっている。

 神社と滝が点々と丑寅、鬼門を目指しているのである。
昨日紹介出来なかった滝が、まだ多数ある。

御剣の滝

 こちらには神様が居られた。源氏にご縁の方である。
源氏と「くら」、岩、いろいろなものが見えてきたと思う。

 上から、末廣ノ瀧、御剱ノ瀧、白菊ノ瀧、七面瀧、青木ノ瀧、命婦ノ瀧とあるようである。
「鳴瀧」の「なる」とは「アイ」である。七面はフリーメーソンの1組である。

 今日も沢山の光が降りてきた。
皆さんにも、伏見稲荷は、とても縁が深いのである。
   
 +(-_-;) 


 稲荷山の南谷

2009/03/14

 稲荷山の南と言うと、下の地図の様である。
先日の天狗さんが来て、ここも大事なところなのだそうである。

稲荷山の南

 元々、末広大神は山頂ではなく、その東南に祭られていたのだそうである。

末広大神の案内

 東南には沢山の滝がある。地図の縞模様である。


末広大神

白菊の滝

弘法の滝

青木ヶ滝

 以前社主に沢山の滝で修行したと聞いていた。
この滝は皆知っているそうである。

 今日も末広大神の事を書きだしたら光が凄い。

末広大神

 末広大神とは、根の神ネフェルテイテイなのだそうである。
隣の滋賀県には、ちゃんと彦根と言うところも在る。

 目や根と言うのはあちこちにある。伏見稲荷にも、眼の社があったと思う。
もちろん、指宿、揖斐とは「イブ」常世岐姫である。

 この世に偶然はない。

   
 +(-_-;) 


 熊鷹大明神

2009/03/13

 先日の七面大明神の、お社には熊鷹大明神とも書いてあった。
伏見稲荷にも熊鷹社がある。

熊鷹大明神

 ここが熊鷹社だと思う。
 
熊鷹社

 伏見稲荷の熊鷹社は蝋燭が沢山灯っている。
拝火教の神殿の様である。

熊鷹社

 先日の胎臓界殻来た、白いカラス天狗さんが、熊鷹明神なのだそうである。
確かに、熊鷹と言う表現があっていると思う。

 そして、ここは先日のお寺とも近かった。

地図

 確かに、ここの下は胎臓界なのだと思う。
そして大事な土地と言われたところが下である。

大事な土地

 ここにも自衛隊の駐屯地(「吉」)があった。
かってのピラミッド、稲荷山の中心は、やはり警備詰所の前なのだそうである。

稲荷山の中心

 ここを中心に、神々の結界があるのだそうである。
山の中には、不思議なものが多くあるようである。
   
 +(-_-;) 


 坂手八幡神社

2009/03/12

 水海道の八幡宮を更新していたら、エジプトの神々が感応された。
正式な名称は、坂手八幡神社なのだそうである。

 坂手とはサッカラ出身の人たちの手が入ったと言う事なのだそうである。
埼玉にも坂戸と言うところが在る。坂田と言う人も多い。酒田も紹介した。八坂神社も同じである。

 サッカラとはそれほど重要なところなのだそうである。人類のほぼ最初の土地なのだそうである。
古いピラミッドが有名で、私の前世の御先祖様も居られたそうである。

階段ピラミッド

 赤いピラミッド、黒いピラミッドもある。
下は赤いピラミッドである。

赤いピラミッド

 そして、黒いピラミッドは、イエメンでも似たものを紹介した。

黒いピラミッド

 この配置は以下の様である。

ピラミッドの配置

 上から、赤、階段、黒である。
そして、ピラミッドの中間辺りには、やはり、神々の怒りで埋もれた遺跡がある。3×7である。意味は大きい

神々の怒りで埋もれた遺跡

 恐ろしい天変地異があったのだそうである。
ここは上古の初代よりの土地だったのだそうである。天の岩船で木星から来たのだそうである。

 しかし、アダムは欲、蛇に憑かれてしまった。
金など、所詮は神の権威とは成り得なかったのである。

 今も金融工学が崩壊してしまった。
何時天変地異が来ても、おかしくない状況である。

 多くの方が考えているような、簡単な天変地異ではない。
木星の神々、諸如来、諸菩薩は宇宙のためには、地球を浄化する事に躊躇はしないのである。

 これをひどい事と言うのは、宇宙則に反している。地球人の医者も院内を消毒するはずである。
全ては愚かな地球人の性である。連帯責任である。

 ・・厳しい言葉と思った方もいるかと思うが、これは宇宙からの話である。
そして、紛れもない、宇宙の意思である。

 こんな地球人が宇宙に行けるはずなどないと、私は何度も言っている。→「コン」
腐り果てた地位名誉、余計な金銭など思わないのが、蛇を避ける良い道である。

 5分後に死んでも、神々に文句を言わないように精進していただきたいと思う。
サッカラと伏見稲荷も大きな縁がある。続きは明日。
   
 +(-_-;) 


 七面大明神

2009/03/11

 昨日ご紹介した宝塔寺には、奥に鎮守の七面宮と言うのが在る。御祭神様が感応され参られた。
下が地図である。

七面宮

 こちらの御祭神が七面大明神である。
道中をご案内する。本道脇から行くのだそうである。

七面宮1


七面宮2


七面宮3

 こちらが御祭神である。南アフリカの人らしい着色である。
右手の鍵は、伏見稲荷のお狐さんも加えている。あれは宇宙、金剛界への鍵である。

 太田姫稲荷神社のお狐さんも銜えている。
常世岐姫神社のお狐さんには金剛界の画像も見せてもらった。

七面宮4


七面宮5

 ここに参られた七面とは、7人のフリーメーソンなのだそうである。その事については、以前に述べた。神官七人で一組なのである。
稲荷山にピラミッドを造る為に、南アフリカのダーバン、イナンダから来たのだそうである。

イナンダ

 そして、伏見稲荷、稲荷山には神々の結界が造られたのだそうである。こちらも龍神である。
続きは明日です。
   
 +(-_-;) 


 深草山

2009/03/10

 深草と言えば伏見稲荷があるところである。近いうちに、私もお参りに行こうと思って計画を始めた。
先日も少し紹介したが、稲荷山には大きな秘密がある。何処が大切なのか社主に尋ねた。

 そのひとつが深草山宝塔寺(じんそうざんほうとうじ)なのだそうである。

深草山宝塔寺

 下が山門である。立派である。倉稲魂神が居られる。
元は真言宗のお寺で、極楽寺と言ったそうである。「ごくらく」とは「くら」である。

深草山宝塔寺2
 こちらは本堂である。

深草山宝塔寺3

 とても立派で御所のようだが、その通りなのだそうである。
倉稲魂神とは、ここに祭られていたのだそうである。ここは陵だったのだそうである。

 しかも、上古の21代、天照大神様の前の代の天皇なのだそうである。
深草とは21代なのだそうである。「ふか」は21、草とは日嗣の日なのである。→日下(くさか)

 この方がイザナギとすり替えられてしまったのだそうである。
もちろん古代の出雲をも滅ぼした藤原氏の力である。他の者では出来ない。

 その後、この寺は真言宗から日蓮宗に改宗したのだそうである。
日蓮の弟子は藤原氏を嫌ったのだそうである。

 伏見稲荷は、元々が古墳だったのである。
沢山の神社仏閣が周囲にある。江ノ島とも縁が深いのだそうである。

 伏見稲荷に行く前に、江ノ島に行くようにタギリ姫様が申された。
江ノ島くらいなら2時間で行ける。日帰りで十分である。

 こちらは早い内に行って見たいと思う。
   
 +(-_-;) 


 土師(はじ)の故郷

2009/03/09

 土師の故郷は何処か、天神様に案内していただいた。
アフリカに飛んで行くと、神武天皇の出身地ジンバブエが見えた。

アフリカ

 その右にはモザンビークと言うのが見える。「モ」はエジプトの縁である。
宇多天皇の頃には、インド、中国と貿易をしていた様である。

 この国は、かってはジンバブエを中心としたモノモタバ王国、モタバ王国だったと言われている。
「ふたば」を連想できるが、エジプトの神「プタハ」が元であり、こちらがミトラ神、宇迦之御魂大神様である。

 双葉と言うのも日本中に多数ある。学校法人でも在る。
大きな日本の原点が近くなってきた。

 そして、ことら学園で学ばれる皆さんには土師、恥、端が何処か、お知らせする。
こちらである。

土師、恥、端

 エルハチロネなのだそうである。→八郎潟。
島=十=天である。江ノ島を思い出した。

エルハチロネ

 ここの写真はまったく見当たらない。
「すがはら」=「洲ヶ原」の意味が解かったと思う。

 天神様の御先祖様は、石切の故郷から来たのだが、土師に成ったのだそうである。
ヌビアの皆さんも、埼玉(さきたま)で土の古墳を沢山造った。思いは深かったと思う。

 こちらは江ノ島に現れた、四大神、エジプトの大神官アイである。訪問者様にいただいたものである。
龍神様の上に居られる。

エジプトの大神官アイ

 そして、こちらは鳳凰、火の鳥である。

鳳凰、火の鳥

 火の鳥はフェニックス、復活である。
大きな歴史が、また蘇ってきたと思う。
   
 +(-_-;) 


 天満天神

2009/03/08

 天満天神と言えば菅原道真公である。
これがどのような事かお尋ねした。下に菅原道真公が居られる。

天満天神

 天に満ちる天神と言うのが、天満天神なのだそうである。
ここは勝願寺である。御神宝の一部をお見せする。

境内

 多くの方は御仏(みほとけ)、神々が頭上に沢山いるのも解からず、日々を過ごしているのである。
そして、下は埼玉(さきたま)である。まさに天満天神の御許である。

天満天神の御許

 愚かなものは、何時も神々が傍にいるのに気がつかないのである。
神を感じられないので、愚かな者たちは悪行を繰り返すのである。

 恥知らずとは「はじ」を知らない。
菅原道真公の祖先は土師(はじし)であった。土師とは土偶、埴輪などを作る人である。

 これがどこの土地かは、今は誰も知らない。
案内していただいたところは、やはりアフリカであった。

 これが、菅原道真公が常世岐姫神社に祭られていた理由である。
続きは明日です。
   
 +(-_-;) 


 宗像の神

2009/03/07

 宗像の神と言えば、天照大神様の娘さんである。
宗像三神と言われている。

 宗像大社に祭られている。

宗像大社1

 タギリ姫、多義津姫などと呼ばれている。
安芸の宮島の厳島神社、江ノ島神社でも御祭神様である。

 天照大神様の娘さんは、本当は一柱なのだが、神社の営業上、三柱なのだそうである。。(^_^;
下が、多義津姫神が大切であると言われた南良津神社である。六ヶ岳もある。

南良津神社

 写真を探したが、何処にもなかった。
元宮は、そんな事が多い。

宗像大社2

 多義津姫神は普段は宇宙に居られるそうである。
太陽系の外だそうである。
   
 +(-_-;) 


 胎臓界の法

2009/03/06

 密法には金剛界の法と胎臓界の法がある。
それについては既に述べた。

 天狗は胎臓界に住んでいるのである。
よくお狐さんに乗っている。アミに出てきた司令官も天狗なのだそうである。納得できる。。

天狗

 胎臓界はそれぞれの星にあり、私は金星の胎臓界にお狐さんに乗せて行ってもらったことがある。
凄い迫力で地上を飛び立ったが、あっという間に金星に着いた。太田姫稲荷神社のお狐さんの流れ星の様であった。

 山は地球と同じようだった。鎌北湖周辺のようだった。ダム湖があった。
山の穴からお狐さんは下に降りて行った。そこからいろいろな世界に分かれていたのである。

 お狐さんには跨っていた。私には胎臓界の道が解からなかった。
お狐さんがちゃんと案内してくれたのである。

 大山(だいせん)に案内された。神々、龍神様が居られた。
大山も重要な山なのだそうである。

大山

 大山の中腹に重要なところがあるのだそうである。

大山の中腹

 ここは江府(こうふ)と言うようである。甲府と同じようなのだそうである。
こちらは大山寺(だいせんじ)である。

大山寺

 ここにも神々が居られた。
天国度数のとても高い土地である。

 ここで食べる海苔のお結びは美味しいと思う。
   
 +(-_-;) 


 中山不動尊 完宗院

2009/03/05

 昨日、カラス天狗と似た白い感じの天狗さんが現れた。
何処から来たのかと思ったら京都であった。

 伏見稲荷の傍の寺であった。
まったく知らなかった。ネットでも情報が見えない。下の写真のお寺だった。

中山不動尊 完宗院

 中山と言うのは山の中ではなく、胎臓界の事なのだそうである。
ここからは一の峯も近い。

一の峯

 この裏が伏見稲荷の大事なところで御神体なのだそうである。もちろん道もない。
東の山の麓には、大石神社、岩屋寺と言う神社仏閣が目に付く。

大石神社、岩屋寺

 さらに東には牛尾観音と言うところまであった。

牛尾観音

 ここも11面観音を祭るそうである。
何時か紹介した、ナイル川のそばにあったやつである。ご先祖様が窺える。。

 安土桃山も意味が分かったと思う。
「あづち」とはアフリカのつちである。

 大山アフリ神社のご縁である。
今日も、ここで天の光が降りて来た。日本のほとんどの方が夢にも思わなかった事実である。

 皆さんは、偉大な知識の持ち主になったのである。
   
 +(-_-;) 


 四大神(しのおおかみ)

2009/03/04

 お(すすき)がやってきて、伏見稲荷のサイトを更新と言うより、作り直す時が来たと言った。。
確かに、私もそう思っていた。

 お薄の希望は、川崎大師のようなものが良いと言う。
確かに、あれなら何処でも自在に行ける。しかし、大変である。

 何しろ伏見稲荷大社は広い。私は行った事もない。地図を見ても稲荷山まで遠い。構想も大変である。
それに、もうひとつの問題があった。

 四大神の事である。学説上は四柱の女神なのだが、事実は分からなかった。
それで、お薄に、四大神の土地に案内していただいた。

 アフリカだろうとは思っていた。
案内された先は、南アフリカのダーバンだった。予想外であった。

南アフリカのダーバン

 ところが、何と、ここにも稲荷山に似た、イナンダ山があった。。

イナンダ山

 驚木、桃の木、山椒の木と言ったところだが、若い頃ダーバンと言うブランドのスーツを持っていた。
それで、肝心の四大神が誰かと尋ねたら、アイなのだそうである。

 意外だが、納得もした。シノ大神は、死の大神でも、大儀のための筋が通る。
その事は既に皆さんにはお話した。私もふざけたものには妥協しない。

 いつものように篠崎さんの分布を調べた。

篠崎さんの分布

 やはり日の丸である。阿地の人であった。そう言えば、やはり黒い人が多いと思う。
天照大神様とも縁が深い南アフリカである。日本にも重要である。

 伏見稲荷は、一回りすると何時間くらいかかるのかと思う。
もちろん、只歩くだけではない。

 社主が一日では無理だと言っている。。→「コン」
何時の日か、高速バス等で行ってみたいと思う。。
   
 +(-_-;) 


 ひな祭り

2009/03/03

 雛祭 ( ひなまつり)とは3月3日の節供行事である。これも本来は旧暦である。旧暦3月29日である。
雛人形を飾り,菱餅(ひしもち)や桃の花を供え,白酒で祝う。

 男子の端午の節供に対して,女子の節供とされる。
雛祭の形式が現在のように整ったのは江戸時代に入ってからで,源流は祓(はらえ)のため人形(ひとがた)に供物をささげて水に流した古代の風習にある。

 鳥取県の流し雛などにその風が残っている。
私は流し雛は知らない。用瀬(もちがせ)と言うところが有名な様である。

用瀬

 流しびなの館と言うのが在った。
下が案内である。

流しびなの案内

流しびな

もちがせ

 ネフェルテイテイが感応した。もちろんエジプトで始まった事だったのだそうである。「もちがせ」の「も」もエジプトの意味である。
三角山もちゃんとある。因幡も近い。大事なところがあると言う。

大善寺

 ここも古墳である。大善寺と言う浄土宗のお寺であった。訳あって、ここは近づいてはいけない。
法然は美作(みまさか)の人なのだそうである。先日ご紹介した吉備である。吉がエジプトを現すのも述べている。

 ここでも争いがあったのだそうである。悪魔どもが追ってきたのだそうである。
29日とは、例の「29」の意味なのだそうである。呪われた数字である。

 その厄をナイル川に流したのが流しびななのだそうである。
こちらは、他所の土地のものである。

流しびな

 用瀬のものとは全く違うのが分かると思う。
本来のものは大きな意味があったのである。ネフェルテイテイが、ナガシイナだったと言っている。

 悪しき役人どもの呪いを川に流したのだそうである。
気持ちがとてもよく分かる。今も魔界にいる役人が来た。

 底知れぬ寒さを感じた。悪魔に騙され一生を終えた者たちである。
救い様などない。

 この悪霊の寒さが冷え性のものなのだと思う。
背中一面にずんと北極が乗ったようだった。久しぶりに冷たかった。

 こんな者が御先祖様にいると、人生は大変である。
私は、この手のものは、もう相手にしない事にしている。

 冷え性や病気も、全ては神の性ではない。
霊による病気は、前世の過ちを含めた自己責任である。

 それで業病と言うものがあるのである。
   
 +(-_-;) 


 雲海上人

2009/03/02

 雲海上人は三ツ木神社の開祖と言う様な人だが、何処の人か解らなかった。
御呼びして、お尋ねしたところ、ご出身はカラチであった。

 現在のパキスタン、インダス川の河口である。
かっては天竺、インドであったが、パキスタンは独立した。

地図

 ここが日本の墓の原点の様である。
少し、日本の墓より大きい様であるが、格好は似ている。

日本の墓の原点

 雲海上人の名前は、土地から付けたのだそうである。
インダス川の河口である。まさに雲の様である。

雲の様

 そして、大山咋命はこちらで祭られていたそうである。

Shah Jahan

 サーが山王になり、ジャハン(ヤーハン)はもちろんジャパンである。
サーとは、本来太陽なのだそうである。敬称である。

 大山咋命は猿田彦大神様の別称である事は既に述べた。南米ではエル・サルバドルもある。
大山咋命の「咋」は太陽に当たるのだそうである。

猿田彦大神、大山咋命
 羽咋に円盤が現れるのも理解できるような気がする。
山に太陽が出ると前方後円墳の姿である。

そして、たまに見かけるドアのマークがあった。

ドアのマーク

 良く見かける図案である。
これは金星を現しているのだそうである。

 竜田揚げの原産地まで理解出来たような気があする。
   
 +(-_-;) 


 弥生3月

2009/03/01

 本倉稲荷神社のお狐さんのご希望で、お札を作り納品してきた。この神社の初午だからである。
ご希望は20以上あったのだが、製作が間に合わなかった。それで15ほどお社に納品した。

お札

 パソコンを使える人は良いが、氏子の多くが高齢者で、パソコンを知らない。
お狐さんが大事な氏子さんには、ぜひお札を祭って欲しいとの事だったのである。

 材料は用意したのだが、作りきれなかった。。
出来たのが6時頃で、お社に着いたのは7時過ぎだった。金の亡者相手では大変なところであった。。

 それでも、御祭神様、お狐さんが喜んでくれた。
いつもお参りに来ている人たちも、こんな写真を見たら驚くと思う。

御祭神様とお狐さん

 いつもより白光が強いのは、御祭神様の真光なのだそうである。
そう言えば、前玉神社の建御名方神様も真っ白なのがあった。

筆頭さん

 こちらは筆頭のお狐さんである。
私は材料代も手間も全部持ち出しだが、この神社のお狐さんには、大きな恩がある。

 きっと参拝者の多くが、そうなのだと思う。
嘘のない世界である。
   
 +(-_-;) 

 
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