西入口
吉見百穴

 平成22年11月七日、久しぶりに吉見の百穴に行ってきました。
 平成22年11月七日、吉見の百穴にご縁の深い神々が御降臨されました。この吉見の百穴が神代のものと言われる のはウガヤ朝17代の天皇が造り始めたからなのだそうです。それで、神代文字も発見されているのです。

 学者の誤りに惑わされてはいけません。不明なことは、こちらの神々にお尋ねください。
ここでは百穴文字と言われる神代の文字も発見されているそうです。
神代文字と言われる桃の木文字と大変にています。    
苔寺の様に苔が凄いのがわかると思います。
穴が東南よりやや東、鹿島を向いています。
この中で太陽に向かってお祈りしたのだそうです。
ひとつの穴に最高五人まで入ったそうです。
光苔の生える地が最高の祈りの場だったそうです。
 
私も子供の頃は何度か遊びにきました。その頃は柵や階段がありませんでした。
外国からも見に来ていました。
疑問なのですが、ここは神代(神倭朝以前)に彫られた穴です。
当時鉄器が無かったらこのような穴が出来たでしょうか?
木では彫れません。
石器で彫ったのでしょうか?
岩窟ホテルは石ノミ(鉄製)で彫った記録があるようです。
日本の誇るたたら製鉄は起源も不明なのだそうです。
神代にも鉄器があったと考えるのが自然だと思います。
穴の中は座りやすい様に平らに成っていました。



これが有名な光苔です。日本にもあまりありません。国定記念物です。
特定の緯度の地域にしかないようです。本州では吉見のほかに諏訪(光善寺)、浅間等
にあるそうです。北海道にもありますが、ここと違う植物もあるような気がします。
鹿島から埼玉、諏訪が光の道なのです。光苔があるのが証拠です。
上の写真からもわかるようにここは苔が立派な土地なのです。
大和朝廷が以前の国造り笠原から土地を奪った理由でもあります。
鴻巣市の太郎子山稲荷神社の社主(稲荷狐様)によりますと、苔が吉に成ったのだそう
です。
苔見→吉見に成ったそうです。遠くから皆が苔を見に来たのだそうです。
今でもそうですが、苔は吉(良い)なのです。国家、君が代でさえ「苔むすまで」と謳ってお
ります。
確かにここ以外ではこれほどの光苔は見たことがありません。肉眼で光っているのを見
るともっと綺麗です。蛍光塗料の様です。光る時期もあるようです。
因みに吉見は横見と言う地名の時代も
ありました。神代は平和な時代で沢山の
方が光苔を作ろうと穴を掘ったようで
す。神代には貨幣がありませんでした
が、お金の問題ではありません。光苔は
吉見でしか出来なかったのだそうです。
神代の頃は、黒岩横穴郡と合わせて、
全部で30近くの穴に光苔が出来たそう
です。この近辺にも8つの穴で光苔が出
来たそうですが他は全部土砂崩れなど
で埋まってしまったそうです。私が子供
の頃遊んだ穴も台風の土砂崩れで埋まってしまったのがあります。深い穴でした。
こちらは、平成22年11月7日撮影したものです。ヒカリゴケは私が子供の頃見た輝きは失せてしまいました。


昔、ここに松山城がありました。兵どもの夢の後です。
武田信玄の金堀集に井戸の底に穴をあけられ、この城は落ちてしまったそうです。
兵糧攻めは武家の常套手段です。
でも、まさか井戸の底を抜かれるとは城の人も夢にも思わなかったでしょう。
さきたま古墳公園航空写真
 




戻る