埼玉の津

埼玉古墳の前方後円墳は、ヌビアの皆さんが造った古墳が最初ですが、消えた古墳は、現在の前方後円墳や円墳 ではないのだそうです。
 
ここには埼玉の津と呼ばれる尾崎沼神社(小埼沼神社)があります。
2009年1月25日に調査に行ってきました。
天界の方がお出迎えしてくださいました。
小埼沼の説明です。
問題は万葉集の解釈である。
万葉集 (まんようしゅう)とは 

現存する日本最古の歌集。20巻。編者,成立年代ともに不明だが,全巻の完成は8世紀末ごろで,大伴家持が編纂(へ んさん)に関係したことは確実とされる。総歌数約4500,短歌4200余首と長歌約260首が主体をなし,ほかに旋頭歌(せど うか)60余首,仏足石歌がある。部立(ぶだて)の基本は,雑歌(ぞうか),相聞(そうもん),挽歌(ばんか)。
 私のサイトで長い間勉強された方は、万葉集の「葉」の意味も理解している筈である。

 以下にポイントを分けた。

@主要な作家としては,壬申の乱までの第1期に有間(ありま)皇子額田(ぬかた)王
 1、すでに、「アル」や「ぬかた」の意味は日記で説明してある。

A奈良遷都までの第2期に柿本人麻呂山部赤人がいる。36歌人における2人の歌聖である。
 1、柿本人麻呂について、学説上は不明であるが、毎日、私の日記を読んでいる方は、どのような方か理解できるはず である。
 2、今、ご本人が参られ、申したには、現在のイラクの Karbala から文化交流のために来た舎人だそうである



この方も金の亡者に殺されたそうである。現在なら著作権泥棒と言う者に殺されそうである。この方の歌は、他の人間の 名で沢山あるという。やはり、悪は草冠だったそうである。そのためか、藤原氏の暗殺計画は沢山起こった。藤原氏は呪 われた一族である。それを憂いた藤原道長は高野山を復興した。このため、この時が藤原氏の絶頂期と言われる。しか し、道長自身も藤原の内ゲバで危なかったようである。洋の東西を問わず、貴族は権力維持のために、積極的に殺し合 いをするのである。遅れたら殺されるからである。

注。山部赤人と言う歌人は、身の危険を感じて国に逃げたそうである。賢明だったと思う。後の史書に名が見えないので 下級役人だったと言うのは間違いである。かってのペルシャの方はミトラ神とアフラマズダ神をお祭りされていたのは当然 である。

B奈良時代前半の第3期に山上憶良(やまのうえのおくら),山部赤人(やまべのあかひと),大伴旅人,高橋虫麻呂,

C奈良時代後半の第4期に大伴家持,大伴坂上郎女などがある。

D用兵士である防人(さきもり)の歌や,東国民謡を含む東歌(あずまうた)も採取・編入されている。
 1.防人とは、古代,北九州防衛のために配置された兵士(ひょうじ)。大化改新ごろまでの実態は不明。663年白村江の 戦に敗れた後,戦備を強化するため大宰府を中心に壱岐(いき)・対馬(つしま)に強健な東国の兵士を当てた。
 「防人(さきもり)」とは埼玉(さきたま)の「さき」と杜(もり)である。杜は渡来人の隠語である。

 2.東歌(あずまうた)とは東国歌謡である。特に《万葉集》巻14所収の230首をいう。すべて短歌で,作者は不明。国名明 記のものは90首。民衆の生活と感情が東国方言を交えて詠みあげられており,本来は古代東国に口誦されていた在地 歌謡だったと考えられる。


和歌集として,口承段階から文字使用による表現の段階への移行という歴史的条件を反映して,日本における文学の誕 生を告知し,以後の文化の水源をなすとともに,万葉仮名による表記法が国語学上きわめて重要な資料となってもいる。 ⇒万葉調

下の写真は赤城神社です。宇迦之御魂大神様(ペルシャのミトラ神)が縁の深い土地なのだそうです。
埼玉の津とは、この無数のクロップマークに秘密があります。小埼沼とは池ではないのです。
「ぬま」とは、既に述べた様にヌビアの民です。
ここに来た人たちは、下の土地から来たそうです。


「あ埼沼」だったと言うところですが、AやUは「お」とも発音します。それで「おさき沼」なのです。東国の屈強な兵士はヌ ビアの皆さんだったのです。
赤城山の大沼や榛名湖についても謎が解けたと思います。沼や池、湖や浦について、皆さんも解ったと思います。
「春が来た」という歌も、ハルツームから来た御先祖様のための歌でした。
平21年3月25日
 



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