西入口
奥の山古墳

 
この古墳も、勿論丑寅を見ています。金星の神々への祈りです。
 最初に私のところに現れた神々は、ここから来た方たちだそうです。
 上古の13代様の時に金星から来た岩舟、ポンポン山(玉鉾山)を模した丸墓山が造営され、次に、この奥の山 古墳が造営されたのだそうです。
 丸墓山は現在のドイツの方、稲荷山はペルシャの人が造り、奥の山、将軍山はエジプト、インドの人が造ったの だそうです。エジプトの人も違う集団だそうです。

古墳を造った神々は、下の土地から来たそうです。既に紹介したel-Gedidaです。
とても大切な土地です。天照大神様を祭られた土地です。
○印のところを拡大します。
これを縦にすると、銅鐸と言うものとそっくりです。
 下が銅鐸です。祭りの道具と言われてきました。その通りです。天照大神様を祭った神殿の思い出だったそうです。
上が東で天照大神様の神殿があり、その下に部の民の役所があったそうです。左右に九段になっています。
 一番上が、→九=宮、ここが宮中です。

 左大臣、右大臣など、官位はここから始まったようです。

 ウガヤ29代の時に、ここは敵(イ)に破壊され、多くの天照大神様を祭った人たちは、日本に来たのだそうです。
その方たちの3割くらいが、岩穴に住み、山穿(さんが)と呼ばれたそうです。
 山穿(さんが)の人は吉見(埼玉県比企郡=日来郡)にも居たそうです。本来、身分の高かった人たちです。
 下は島根県の荒神谷遺跡から発見された銅鐸です。大事な官位の区切りを示す線がありません。忘れられてしま ったそうです。山穿(さんが)の人も沢山の集落に別れていたため、長い間に、元を伝え忘れたところもあるそうです。
 これだけの事実を伝えるのも、半端な苦労ではなかったはずです。ご苦労様でした。(平成20年8月2日)
こちらは3月の奥の山古墳の写真です。
こちらは5月中旬の写真です。向こうが見えません。
 2010年、愚かな馬鹿役人が水を抜いて、大事な濠を埋めてしまいました。 
役人は地獄に堕ちるはずです。
火祭りの帰りに撮影した、古墳の神々です。
こちらも同じです。火祭りの帰りに撮影した、古墳の神々です。
さきたま古墳公園航空写真
 






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