西入口
栢間古墳郡

天王山古墳
栢間古墳郡最大のもの
・栢間と言う地名から、その名の通り百済から来た方が 多い。
・この古墳には6柱の方が関係していると言う。
・エジプトの方が3柱と百済の方が2柱、日本の方が1 柱だそうである。
・この墓の主はエジプトから来た方なのだそうである。
 石室もあると言っている。
 ウガヤの時代の方だそうである。杖を持った体格の  良い方である。感謝されてしまった。。
・エジプトも百済の方もフリーメーソンの方で元々は日 本から出た方である。
・モーゼの時代に出エジプトで日本に来た方が多いの である。
 
こちらは百済から参られた方である。かっては山があったと言っている。
推古天皇の時代に日本に来たそうである。行田の八幡山古墳の物部兄麻呂と一緒にこ
の地に着たが、先に死んでしまって、この地に古墳を作ってもらったといっている。
かっては四角い山の古墳だったそうである。仲間のものが栢間に3つあったそうであ
る。石室もあったそうである。今はごらんの通りである。何処の古墳も開墾されるところ
は多い。。
ここは鎮守の森とされていますが、立派な古墳です。埋葬されたのは印度の方だそうです。
ウガヤ41代様の時に日本に来た方だそうです。
稲荷神様の教えを伝えに来たのだそうです。稲荷神様の教えは神倭朝以前からあり、皇祖
皇太神宮でも、その内容に触れています。印度は稲の発祥地なのです。
日本の歴史を闇に葬りたかったものたちは、そんな記録を残したくなかったのです。
自分らの国が一番に成りたかったからです。。単純な話で、今の亜米利加みたいです。。
さきたま古墳公園航空写真
 
戻る