西入口
稲荷山古墳

 
  稲荷神社の筆頭の神様が宇迦之御魂大神様です。かって、インド、ペルシャで祭られていたミトラ神です。
 愛宕山に祭られたアフラマズダ(オーラマツダ)、日本名の建御名方神様とは大変深い関係です。
 
 下はイランの遺跡の貴重な石像です。ミトラ神とアフラマズダ神がペルシャの王様に権威を与えているところです。
 稲荷山古墳の航空写真です。かっては稲荷神社が山頂にあったそうです。
下の写真のように、上を北にすると、しっかりと丑寅を向いています。明けの明星、金星の方角です。
ここに居るのが古墳を造った皆さんです。現在のエジプト、スーダンなどから来た皆さんです。
 これは火祭りの時の写真です。こちらの神々が古墳を造った時の方だそうです。稲荷山は稲荷神様のうちの佐田 彦大神様=猿田彦大神、火の神アフラマズダ神(和名 建御名方神)を祭ったザラスシュトラを祭ったのだそうです。

 ヌビアの皆さんを日本に呼んだのも猿田彦大神なのだそうです。印旛沼にも猿田彦神社があります。この神々は、 まさに、「さきの玉」なのです。
稲荷山では山王様として猿田彦大神様が祀られていたのです。大山咋神様の眷属として猿田彦大神様が居られる ので、大山咋神様も火祭にはご降臨されるのです。



 この後、前方部は行田市の土木工事に使われ消えていました。
土建屋の金儲けで、沢山の古墳が消えたそうです。。
こちらは2008年5月現在。
あそこに稲荷神社があったそうです。
稲荷山古墳の山頂から見た丸墓山です。
この日も九体の龍神様が現れました。
 ここに葬られていたのは、この陵を造営した者ではないそうです。
ただ、出来ていた陵に葬られただけだそうです。
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 上に銘文解釈を掲載いたしましたが、当研究所では辛亥年を古墳時代以前の171年としています。日本武尊や竹内宿 禰が活躍した時代です。
 かっては大和政権は東国には侵入してこない決まりでした。基本的に現在は歴史認識が全く間違っています。
 埋葬されていたのは、ヲワケ(朝鮮人)の役人だったそうです。鴻巣市のはずれ、馬室に沢山の古墳や窯跡があります。 その関係者のようです。下は馬室の古墳です。朝鮮から来た金子と言う大きな一族がいます。
 金子族は日本で6万件以上いますが、当研究所の調べでは、そのうちの2万3千件以上が埼玉、東京、神奈川、つまり かっての武蔵の国の周辺にいます。

赤が濃いほど金子姓 が密集しています。

見て解るように埼玉は 突出しています。

 9千件近くが埼玉で す。
 窯跡のあった馬室の ある鴻巣市には350軒 以上がひしめいていま す。
 かって、天武天皇は 東国の力を借りられた ので壬申の乱に勝てた そうです。

 賊軍が官軍に勝った のです。

 この時から、大王(お おきみ)は天皇を名乗 るようになったのだそう です。


 かっての埼玉古墳の中心に成った国は、インド、イラク、エジプト(スーダン含む)、ペルシャと言った大国でした。この稲 荷山古墳もアケメネス朝ペルシャの方が造営されたのだそうです。その労働にはスーダンの方が力となったのです。

 しかし、やがてギリシャ、ローマが武力で台頭し、多くの国の全ての歴史は闇に葬られたのです。
 いつも朝鮮は大国の手先に使われます。元寇の時も九州の一部を占領したのは朝鮮人です。

 金子と言う者は、うちの先祖は朝鮮から来たと言って自慢している者がいます。将軍様のような性格で、職場や関係者 の皆に嫌われている人が多いと言うのは、皆さんが判断してみてください。

 ここに来る多くの方には、DNAが反応して拒否されるはずです。
☆説明 
そのヌビアの皆さんが埼玉古墳を造営して、土地に住み付きました。行田市野もその土地です。土地には、「上手= 神の手」と言うところもあります。鴻巣市糠田(ぬかた=ヌビアの方)などもそうです。
鴻巣市馬室の古墳
北への階段です。
下は丸墓山古墳からの眺めです。
下は改修前です。堀にも水がありました。


さきたま古墳公園航空写真
 




 
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