西入口
二子山古墳

 
 二子山古墳は、まさに文明の発祥の地といわれるシュメールの人の遺跡でもあります。
明けの明星、金星の現れる、丑寅の方向を指しています。まさに、日本の宝です。

 丸墓山古墳が現在のインド・ヨーロッパ語族の人(アーリヤ人Aryan)に造られ、その後、将軍山の北東に前方後円 墳が造られたそうです。(→消滅)
3つ目に現在のイラクの人(シュメールを祖とする人)によって造られたのが、この二子山古墳だったそうです。

アーリア‐じん【アーリア人】
(Aryan)(もと「高貴な」を意味する梵語#ryaから)インド‐ヨーロッパ語族インド‐イラン語派の言語を話す人々の総称。 特定の人種や民族を指すものではない。

[株式会社岩波書店 広辞苑第六版]
二子山古墳は、ウガヤ朝の天皇六名様の陵だったのだそうです。
 それは2代,5代,7代,10代,12代,30代様だそうです。
概要 Wikより引用

墳丘長138メートル 
後円部径70メートル・高さ13メートル 
前方部幅90メートル・高さ14.9メートル 
方形の二重周濠を持つ、埼玉県内で最大の前方後円墳である。二つの山があるように見えることからこの名があ る。もと東側裾に観音寺があったところから「観音山」とも呼ばれる。

内部埋葬施設は不明であるが、周濠からは1メートルを越える円筒埴輪が、多数出土している。 古墳の造営年代は 出土した埴輪や須恵器の特徴から、6世紀の前半と考えられている。

 ここから来たのは豊葦原中津国、バビロン、現在のイラクのバクダッドから来た方たちです。
管理人も訳が解らず、とても不思議でした。侵略者は、その様な記録は邪魔だったのです。
さきたま古墳公園航空写真
 
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