西入口
アショカ王   


 アショカ王は第3回仏典結集の後、没したというのは、死んだのではなく、熊襲を討っ様、垂仁天皇に依頼され、日本 に来たのだそうです。それが当時健在だった邪馬台国でした。その王は倭国の王、垂仁天皇だったそうです。

 そこで熊襲を討つため、5年ほど過ごしたアショカ王は、熊襲を討った功績で景行天皇として践祚されたのだそうで す。そして、日本の中心だった前玉の地に居を構えたのだそうです。13年ほど埼玉で過ごし、インドの古墳である円墳 を造ったのだそうです。それが丸墓山古墳なのだそうです。

 昔は、鴻巣にも沢山の円墳がありました。
景行天皇以来、代々の天皇に仕えた武内宿禰と言うのは秦氏なのだと言っています。当然インドから来たのです。

 秦氏の謎も、いろいろと解けてきます。ただし、神や王様、偉人は名を語るものも多いので、歴史が混乱します。

 おかしな確執はしないようにしてください。これまでの洗脳をよく解くのが大切です。

邪馬台国は祐徳稲荷神社の奥の院の別院が中心だったのだそうです。
前玉でのアショカ王のお住まいは地図の印の辺りだそうです。
 
さきたま古墳公園航空写真



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