八幡神

 こちらは大和市の桜森稲荷神社にご降臨された、八幡神様の主神、応神天皇様である。
上に居られる大明神様は上古の九代様である。
下は宇佐八幡神宮の最初のお社である。誉田別尊(出雲朝名は国忍富、漢風諡号は応神天皇)をお祭りしている。
八幡神は菩薩号を付して八幡大菩薩と呼ぶこともある。その場合は姫神様である。







 太郎小山稲荷神社の参道、向って左にいるのが姫神様です。右奥は建御名方神様です。
鳥居の上にはお狐の皆さんが居ります。



 こちらは、お社の前です。



 八幡神を彦火火出見(ひこほほでみ)尊とする説もあるが,これは誤りだそうである。普通は応神天皇,比売(ひめ)神, 神功皇后の3神とする。


 八幡神がまつられたのは,欽明朝(奈良時代とも)の宇佐神宮が初めで,次いで859年清和天皇が石清水(いわしみず) 八幡宮に分霊。諸源氏の氏神として尊崇された。この理由がイエメンである。徳川家康は源氏だそうである。

 源氏とはイエメンの「カマ」の出身者なのである。それで、芝(シバ、シバム)の増上寺などもある。シバの女王も有名で ある。かっては大国であった。
 
 八幡とは、本来は「やーはた」である。秦氏は蘇我氏とともにエジプトを出発して日本に来たのだそうである。
この当時は、天の岩船が仕えた時代である。上古の九代(大国主神、本当の八幡神の筆頭)の時だったそうである。そし て経塚山に降り立ったのだそうである。



 蘇我氏は金星からエジプトに来たフリーメーソンであった。
 蘇我とは「祖」と言う意味だそうである。蘇我氏は下の地図の所からやって来たのだそうである。




 やがて、アスワンから来た蘇我氏は、現在の奈良(飛鳥=あすか)に大王として君臨したわけである。
秦氏は役人だったそうである。現在もそうである。子孫に神職も多い。

 ウサギの被り物をしたような方が、金星から来たフリーメーソンである。
埼玉県さいたま市浦和の調神社のシンボルが、ウサギである。



 源頼朝が鶴岡八幡宮に分祀して以後,全国の武士・庶民の間に分社・末社が広まった。神仏習合による信仰が古く, 本地(ほんじ)を阿弥陀仏とする例が多い。
この棺型の石は、王の姿を彫るためのものだったそうである。
八幡神は土地によって、神々も異なる。
最初の八幡神はイエメン、八面(=八幡)の太陽の神殿に祭られていた。巨大な八柱の日本神話の神々である。
 こちらは私の現在の歴史書、日本の歴史で上古九代と位置づけさせている大国主神である。
嘘っぱちの歴史書の、タケミカヅチなどに騙されてはいけない。→「コン」

 ここに居られるのが、その方である。そして建御名方神、大山祇神、応神天皇、常世岐姫・・と居られるのである。
鎌倉で八幡様が祭られたのは、イエメンの釜が、その理由です。日記を読んでください。
この話も巨大です。続きます。