天照皇大御神様

天照皇大御神様(あまてらすおおみかみ )


天照皇大御神(オオヒルメノムチ)

日本神話中の最高神で,太陽神と皇祖神の二つの性格をもつ。伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)二神の3子中,第1 子とされ,また伊弉諾の禊(みそぎ)のとき,左の目から生まれたとも伝える。月読(つくよみ)尊の夜の食国(おすくに),素 戔嗚(すさのお)尊の根の国に対して,高天原を治め,のち瓊瓊杵(ににぎ)尊に神勅と三種の神器を授けて,葦原中国(あ しはらのなかつくに)を治めさせ,日本国の初めとなった。別名のオオヒルメノムチは天照の原始的名称と思われる。
 国境なき太古の時代、天照大神様は北海道の生まれだったそうである。だいぶ以前の日記に書いた。読者の方は知っ ていると思う。
 天照様の父は上古13代の天之常立男光天津日嗣天皇なのだそうである。

 この方はエジプトのアメン神である。阿弥陀(アミン・ラー)様とも言われる方である。太古の時代は末子相続であり、アメ ン神は13人目を跡継ぎにしようと思っていたそうである。その13人目が天照大神様だったわけである。天照大神様は 本の歴史で解る様に日嗣ではなかった。

伊弉諾の禊の時、古事記では右目から生まれたとされ、日本書紀では伊弉諾の左目から生まれたとされる。日本におい ては洞爺湖が天照大神様の生まれたところである。ご覧の通り2つ並んだ伊弉諾の目の右側である。
写真で見ると狐の目のようにも見える。
 日本において、天照大神様の生まれた地は、洞爺湖の近くである。洞爺湖にも縄文時代のものと言われる遺跡があ る。

事実は、天照大神様同様、六千年以上前のものである。

そして、下が南アフリカのキンバリーである。
こちらも伊弉諾の目である。胎臓界を経て地球の裏側に当たる。かっての神々には国境などなかったのである。
ここでは天照大神様は左目から生まれた事になっている。下が右目である。
この下が左目である。天照大神様が出てまいられた。
天照大神様と伊豆の縁 天と島 天とは島であった。
 天照大神様は巡幸の最初に天城高原に来たそうである。17年居られたという。天城は良い都だったそうである。
天照大神様が伊豆を好まれたのは、かって伊豆半島は、島(とう→十→10→天)だったからである。
 『海伊国開闢暦記』という記録には伊豆半島はかつて駿河湾に浮かぶ島であったが、やがて本州とのあいだに陸橋が 隆起して現在の伊豆半島が形成されたことが記されている。大陸はすぐ戦争が起こり、争いが多いのは歴史が証明して いる。
そこから烏帽子山というところに、行かれたそうである。
下は@の所である。
下はAの所である。
こちらに祀られているのもエジプトの方で、郡家神社のご縁の方だそうである。
下が雲見神社である。
この姿が前方後円墳である。山頂に神社が祭られていたことが多い。
 天城高原
遺跡
石廊崎
そして出雲へ
 天照大神様は、出雲で21年間お役目を務められ、エジプトに帰ってきたそうです。
円内は重要な地です。左は下級役人の寮(官舎群)があり、右の円内には天照大神様の宮殿と上級役人の寮があった そうです。その上級役人が山穿(さんが)の人たちだったそうです。
 ここにあった宮殿はウガヤ29代の時、敵に破壊されました。そのため、ここに居た人たちは天照大神様を慕って月の 砂漠を経て日本へとやって来たのだそうです。憎い(ニクイ)という言葉は、この時から使われたそうです。
 ナイル川や大切な宮殿の思い出が、銅剣、銅矛、銅鐸になったそうです。銅鐸の姿形は神官が宮殿を上空から見たも のだそうです。
 ここの出身の人にとって銅鐸は、お祭りに欠かせない大事なものだったのだそうです。
宮殿跡 現在見えているのはクロップマークと言われるもの だと思います。かって、土地が仕切られていたことを示しま す。 本来の銅鐸1
下の銅鐸は、何度も埋め返され表面が擦れて、縞が解らなくなったのかと思います。
荒神谷遺跡は、島根県簸川郡斐川町大字神庭字西谷1710番5他に所在し、「出雲国風土記」記載の出雲郡の神名火山 に比定されている仏教山の北東3kmに位置する斐川町神庭西谷にあります。
上部が、天照大神様の栄光を現すのだそうです。銅鐸2
その大事な銅鐸、銅矛も、権力者に圧迫され、地中へと隠されるようになったのだそうです。
銅剣、銅矛(鉾)と言われるものはナイル川の象徴です。
大きな突起状のところは紐を通す穴のためではありません。穴が無いのが当然で、刃先もありません。
これは地形を現していたのです。圧政者の目をくらますため、剣に見せたのです。
下のところIdfuです。川の形は数千年の間に変わったそうです。
悲しい事ですが、やがて本来の銅鐸の姿、意味さえ解らなくなってしまったのだそうです。
 その後、エジプトも日本(にほん→ひのもと)も中国人等の侵略により大変な時代になるのだそうです。
天照大神様は、そのため瓊瓊杵尊を遣わすことになります。
下の剣の縞も、ツタンカーメンの仮面に見覚えがあると思います。
 この綺麗な縞模様がツタンカーメンのものと似ていると思っても、誰もこの剣がエジプトから来た人のものだとは思えな かったのです。
この縞模様は写真の天王です。八雲とはこれです。天王の雲です。
この龍神様と天王はタイタンから来たそうです。写真を立てるとツタンカーメンのマスクの様です。
マスクの上部にいるのは、蛇ではなく、こちらの龍神様です。