ひえ た の あ ら
稗田阿  長い間、「ひえだのあら」と表記していましたが、「ひえたのあら」が本当だそうです。
平成25年9月7日
 久しぶりの更新です。
出雲朝の事が理解できたので、多くの理解が進みました。日本の歴史には、とんでもない捏造がありました。
本項目内にも、修正すべきところが多くあります。
平25年8月22日
一般常識では稗田阿礼についての認識は以下のようである。(礼は禮)
稗田阿礼 (ひえだのあら)とは 

猿女(さるめ)君の支流と伝える舎人(とねり)。生没年不詳。記憶力にすぐれ,天武天皇の命で〈帝紀〉〈旧辞〉を誦習(しょう しゅう),これを元明(げんめい)天皇のとき太安麻侶(おおのやすまろ)が筆録したのが《古事記》だという。

当サイトでは、ご本人(神霊)の思いを、今の多くの人に伝えさせていただく。
まず最初に、ご本人が「ひえだのあれい」ではなく「ひえだのあら」であると申しているので、それから了解していただきた いと思う。斎(いつき)であったという。もちろん女性である。
順番に、できるだけ資料を添えて説明していくつもりである。
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稗田阿礼神様の姿は右から二人目の女性をイメージしていただきたい。
お召し物は、金色のシルクのような感じである。
エジプトでミイラが作り出されたのは、ウガヤの29代の時だそうである。
大事な王(メルナル)に死なれてしまい、役人たちが王に生き返って欲しくてはじめたのだそうである。古代の王は689年を 生きたそうである。
 こちらはナルメルのパレットと呼ばれるものである。上の牛頭の方がナルメル王である。



 私の所に、この方が来た時、私は、この方の頭に鷲が乗っているように見えた。
ナルメル神は、私の前世、エジプト時代の神であった。6千年ほど前である。
 下の像は、頭に、不思議な被り物をしている。これが冠になったようである。
 日本とエジプトの神代の繋がりが、ここにあった。
江戸は、Idofの人が秩父に来て江戸氏を名乗り、そこから荒川を下り、江戸を創ったのである。
下は、私が撮った写真である。龍神様の上に乗っているのは「仏」という存在である。
この仏を、頭に冠したようである。
こちらの龍神様は、遠い星から、私の前に事実を見せるために来てくださったのである。
下は江ノ島の龍神様である。江ノ島もエジプトである。龍神様は同じようである。
上下エジプトとは、川の上流と下流ではなく、右岸(東)と左岸(西)であるとの事である。一般認識とは違う。